【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (5) 天和3年の付け替え検分(3)-新ルートでの検討-

2023年10月12日

 志紀郡太田村の柏原家文書に、天和3年(1683)4月23日付けの「乍恐御訴訟申上候」があります。旧版の『八尾市史』に掲載されており、以前から知られていた文書です。4月21日に、舟橋村から田辺村へ、そこから安立町と阿部野村へと傍示杭が打たれことが記され、それに対する付け替え反対の嘆願書です。

 前回検討したように、4月18日までは現在の大和川ルートで検討されていたのですが、21日にはかなり北寄りの新ルートで傍示杭が打たれたことになります。現地調査の結果、従来からのルートが好ましいものではないと考えて新しいルートを検討したのでしょう。反対嘆願書も影響を与えたことでしょう。素早い対応です。

 この新ルートに対する反対嘆願書が2日後の23日に提出されたのです。この対応も素早いものだと思います。反対した村は27か村で、9か村が18日の嘆願書と重なっており、18か村は新規の村です。下の表を見ていただくと、4月18日の嘆願書で反対した村は、延宝4年(1676)、元禄16年(1703)の反対村とほぼ一致することがわかります。これらが現在の大和川に近いルートで検討されていたことを示しています。ところが、4月23日の嘆願書で反対した村は、これらとは大きく異なっています。反対を訴えた村が、そのルートによって変わっていたことがわかります。

 この嘆願書では、新川の南側が排水不良地となること、新川の河口からの土砂が大坂の川口へ打ち寄せて船が出入りできなくなること、旧川筋には新田を作れないことなどが訴えられています。興味深いのは、船が出入りできなくなると大坂・京・伏見の町人が困ることになると訴え、付け替えよりも大坂町中の川浚えが必要ではないかと提案しています。これは、のちに取り入れられることになる河村瑞賢の考えに一致しています。もしかすると、瑞賢の意向を知っており、それに沿った内容で嘆願書を作成したのではないかと考えられます。このルートは上町台地の高台を横断することになり、あまり現実的なルートとは考えられませんが、さまざまな可能性を検討していたということでしょう。

 なお天和3年の検分については、「天和3年の大和川付け替え反対嘆願書」と題して『柏原市立歴史資料館館報』第33号館報で詳しく紹介しています。興味のある方は、そちら(刊行物一覧)をご覧ください。

 (安村)

つけかえに反対した村々

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