横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)について

2017(ねん)1月(がつ)29(にち)

 5世紀(せいき)(ごろ)巨大(きょだい)()した古墳(こふん)は、6世紀(せいき)になると各地(かくち)小型(こがた)古墳(こふん)爆発(ばくはつ)(てき)築か(きずか)れるようになり、埋葬(まいそう)施設(しせつ)として横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)採用(さいよう)されました。これらの小型(こがた)古墳(こふん)密集(みっしゅう)して築か(きずか)れることが多く(おおく)群集(ぐんしゅう)(ふん)呼ば(よば)れています。この群集(ぐんしゅう)(ふん)出現(しゅつげん)は、それまで畿内(きない)有力(ゆうりょく)豪族(ごうぞく)国造(くにのみやつこ)直接的(ちょくせつてき)個別(こべつ)(てき)組織(そしき)していた階層(かいそう)人々(ひとびと)にも、大和(やまと)王権(おうけん)政治(せいじ)支配(しはい)及ぶ(およぶ)ようになったことを示し(しめし)ています。この階層(かいそう)には朝鮮半島(ちょうせんはんとう)中国(ちゅうごく)大陸(たいりく)進ん(すすん)政治(せいじ)制度(せいど)技術(ぎじゅつ)(りょく)()につけた渡来(とらい)(じん)なども数多く(かずおおく)含ま(ふくま)れており、こうした群集(ぐんしゅう)(ふん)葬ら(ほうむら)れた人々(ひとびと)政治(せいじ)(てき)役割(やくわり)は、大和(やまと)王権(おうけん)にとって、決して(けっして)小さい(ちいさい)ものではなかったでしょう。

氏姓(しせい)(うじかばね)制度(せいど)
 大和(やまと)王権(おうけん)頂点(ちょうてん)立つ(たつ)(ひと)大王(だいおう)(おう)をうやまった呼び(よび)(かた))とよばれ、まだ天皇(てんのう)呼び名(よびな)はありませんでした。
 地方(ちほう)豪族(ごうぞく)同じ(おなじ)血縁(けつえん)中心(ちゅうしん)にした()という集団(しゅうだん)をつくり、()ごとに決まっ(きまっ)仕事(しごと)受け持っ(うけもっ)ていました。また、大王(だいおう)から地位(ちい)身分(みぶん)応じ(おうじ)(しん)(れん)といった(せい)与え(あたえ)られ、政治(せいじ)(じょう)職務(しょくむ)は、中央(ちゅうおう)においては大王(だいおう)中心(ちゅうしん)大臣(だいじん)大連(たいれん)などが、地方(ちほう)では大和(やまと)王権(おうけん)により任命(にんめい)された国造(くにのみやつこ)担い(にない)ました。
 これを氏姓(しせい)制度(せいど)といい、列島(れっとう)におけるこの政治(せいじ)組織(そしき)強化(きょうか)古墳(こふん)変質(へんしつ)にも反映(はんえい)されています。

渡来(とらい)(じん)
 5世紀(せいき)以降(いこう)大陸(たいりく)朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から技術(ぎじゅつ)をもった人々(ひとびと)一族(いちぞく)集団(しゅうだん)移り住ん(うつりすん)できました。彼ら(かれら)は、土木(どぼく)金属(きんぞく)加工(かこう)高級(こうきゅう)絹織物(きぬおりもの)高温(こうおん)焼い(やい)堅い(かたい)土器(どき)須恵(すえ)())づくりなどを、日本(にっぽん)列島(れっとう)人々(ひとびと)伝え(つたえ)ました。(てつ)農具(のうぐ)武器(ぶき)も、大量(たいりょう)作ら(つくら)れ、漢字(かんじ)使用(しよう)もようやく定着(ていちゃく)し、儒教(じゅきょう)伝来(でんらい)しました。技術(ぎじゅつ)文化(ぶんか)伝え(つたえ)たこれらの人々(ひとびと)は、帰化(きか)(じん)渡来(とらい)(じん))とよばれ、大和(やまと)政権(せいけん)につかえていました。

横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)について

 横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)は、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)北部(ほくぶ)発達(はったつ)し、4世紀(せいき)後半(こうはん)から末葉(まつよう)には日本(にっぽん)列島(れっとう)でも築か(きずか)れました。石材(せきざい)積み上げ(つみあげ)部屋(へや)(かべ)外部(がいぶ)との出入り口(でいりぐち)設け(もうけ)(かん)安置(あんち)する玄室(げんしつ)(げんしつ)と通路(つうろ)にあたる羨道(えんどう)(せんどう)とから成り(なり)、これにより(つい)(そう)(ごう)(そう)など(すう)()にわたる埋葬(まいそう)可能(かのう)となりました。

 日本(にっぽん)列島(れっとう)では6世紀(せいき)以降(いこう)古墳(こふん)中心(ちゅうしん)(てき)埋葬(まいそう)施設(しせつ)となり、たとえば豪族(ごうぞく)(ちょう)とその家族(かぞく)など複数(ふくすう)人物(じんぶつ)同じ(おなじ)石室(いしむろ)埋葬(まいそう)されるようになりました。従来(じゅうらい)竪穴(たてあな)(しき)石室(いしむろ)古墳(こふん)築造(ちくぞう)並行(へいこう)して埋葬(まいそう)葬送(そうそう)儀礼(ぎれい)行っ(おこなっ)たのに対し(にたいし)横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)では古墳(こふん)築造(ちくぞう)()石室(いしむろ)への通路(つうろ)掘削(くっさく)し、この(はか)(どう)羨道(えんどう)使っ(つかっ)(かん)搬入(はんにゅう)死者(ししゃ)埋葬(まいそう)行わ(おこなわ)れました。

 また横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)死者(ししゃ)生活(せいかつ)空間(くうかん)としても意識(いしき)されたらしく、須恵(すえ)()などの生活(せいかつ)用具(ようぐ)副葬(ふくそう)されるようになりました。

横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)変遷(へんせん)

石室(いしむろ)(そで)(そで)
 玄室(げんしつ)羨道(えんどう)との接続(せつぞく)()(そで)()呼ば(よば)れています。構造(こうぞう)大きく(おおきく)分け(わけ)て3種類(しゅるい)形式(けいしき)があり、羨道(えんどう)()から()玄室(げんしつ)(そで)()左右(さゆう)広がっ(ひろがっ)ているものが「(りょう)(そで)(がた)」、(みぎ)(ひだり)どちらか一方(いっぽう)広がっ(ひろがっ)ているものが「(かた)(そで)(がた)」、羨道(えんどう)玄室(げんしつ)(はば)同じ(おなじ)連続(れんぞく)しているものが「()(そで)(がた)」と呼ば(よば)れています。

近畿(きんき)地方(ちほう)での変遷(へんせん)

5世紀(せいき)後半(こうはん) (みぎ)(へん)(そで)(しき)横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)現れる(あらわれる)
5世紀(せいき)(まつ)~6世紀(せいき)初頭(しょとう) (みぎ)(へん)(そで)(しき)横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)発展(はってん)
6世紀(せいき)前半(ぜんはん) 埋葬(まいそう)施設(しせつ)として定着(ていちゃく)し、使用(しよう)石材(せきざい)大きく(おおきく)平面(へいめん)(がた)縦長(たてなが)
6世紀(せいき)中ごろ(なかごろ)後半(こうはん) (りょう)(そで)(しき)天井(てんじょう)平ら(たいら)


横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)変遷(へんせん)
1.横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)のはじまり
 日本(にっぽん)列島(れっとう)における横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)(はつ)(みなもと)(れい)は、4世紀(せいき)(まつ)から5世紀(せいき)初頭(しょとう)北部(ほくぶ)九州(きゅうしゅう)にみられます。形態(けいたい)北部(ほくぶ)九州(きゅうしゅう)(がた)肥後(ひご)(がた)竪穴(たてあな)(けい)(よこ)(ぐち)(しき)石室(いしむろ)などの違い(ちがい)認め(みとめ)られています。

<北部(ほくぶ)九州(きゅうしゅう)(がた)>…
玄室(げんしつ)平面(へいめん)(がた)長方形(ちょうほうけい)(ぜん)(かべ)中央(ちゅうおう)(ゆか)(めん)から一段(いちだん)高い(たかい)位置(いち)羨道(えんどう)付き(つき)天井(てんじょう)石材(せきざい)少し(すこし)ずつ(まえ)せり出す(せりだす)持ち(もち)送り(おくり)」という技法(ぎほう)で、(きゅう)(はす)積み上げ(つみあげ)られています。

<肥後(ひご)(がた)>…
正方形(せいほうけい)近い(ちかい)玄室(げんしつ)平面(へいめん)(がた)やドーム(じょう)天井(てんじょう)特徴(とくちょう)があり、北部(ほくぶ)九州(きゅうしゅう)(がた)よりやや遅れ(おくれ)登場(とうじょう)します。

<竪穴(たてあな)(けい)(よこ)(ぐち)(しき)石室(いしむろ)>…
竪穴(たてあな)(しき)石室(いしむろ)一部(いちぶ)外部(がいぶ)との小さな(ちいさな)出入り口(でいりぐち)付け加え(つけくわえ)たような石室(いしむろ)です。

2.九州(きゅうしゅう)地方(ちほう)横穴(よこあな)(しき)定着(ていちゃく)
 これらは5世紀(せいき)中頃(なかごろ)には九州(きゅうしゅう)地方(ちほう)中心(ちゅうしん)(てき)埋葬(まいそう)施設(しせつ)として定着(ていちゃく)しました。その(ころ)近畿(きんき)地方(ちほう)竪穴(たてあな)(しき)石室(いしむろ)粘土(ねんど)槨が主体(しゅたい)でした。こうした九州(きゅうしゅう)における横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)導入(どうにゅう)様相(ようそう)には、大陸(たいりく)との地理(ちり)(てき)(ちか)さや歴史(れきし)(てき)緊密(きんみつ)さを背景(はいけい)にした、九州(きゅうしゅう)地方(ちほう)首長(しゅちょう)文化(ぶんか)(てき)先進(せんしん)(せい)政治(せいじ)(てき)独自(どくじ)(せい)読み取れ(よみとれ)ます。

3.近畿(きんき)地方(ちほう)()地域(ちいき)にも広まる(ひろまる)
 5世紀(せいき)中頃(なかごろ)以降(いこう)には、近畿(きんき)周辺(しゅうへん)地域(ちいき)でも九州(きゅうしゅう)地方(ちほう)横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)がみられるようになります。

  • 和歌山(わかやま)(けん)紀ノ川(きのかわ)下流(かりゅう)(いき) 岩橋(いわせ)(がた)石室(いしむろ)
  • 大阪(おおさか)()(さかい)() (とう)(つか)古墳(こふん)
  • 東大阪(ひがしおおさか)() 芝山(しばやま)古墳(こふん)  など

ただこれらの横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)は、6世紀(せいき)以降(いこう)近畿(きんき)地方(ちほう)盛行(せいこう)する石室(いしむろ)源流(げんりゅう)とはなりませんでした。

4.(みぎ)(へん)(そで)(しき)横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)発展(はってん)する
 5世紀(せいき)(まつ)から6世紀(せいき)初頭(しょとう)近畿(きんき)地方(ちほう)には九州(きゅうしゅう)系譜(けいふ)(ほか)に、小さな(ちいさな)石材(せきざい)積み上げ(つみあげ)構築(こうちく)し、羨道(えんどう)位置(いち)玄室(げんしつ)(ぜん)(かべ)左側(ひだりがわ)寄っ(よっ)た「(みぎ)(へん)(そで)(しき)横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)」が現れ(あらわれ)ました。

  1. 大阪(おおさか)()藤井寺(ふじいでら)() (ふじ)(もり)古墳(こふん)(5世紀(せいき)後半(こうはん)
    玄室(げんしつ)平面(へいめん)(がた)狭長(きょうちょう)(そで)(かべ)羨道(えんどう)(はば)等しい(ひとしい)
  2. 柏原市(かしわらし) 高井田山(たかいだやま)古墳(こふん)(5世紀(せいき)(まつ)
    玄室(げんしつ)平面(へいめん)(がた)長方形(ちょうほうけい)(そで)(かべ)羨道(えんどう)との(はば)等しい(ひとしい)
  3. 奈良(なら)(けん)平群町(へぐりちょう) 椿井(つばい)宮山(みややま)(つか)古墳(こふん)
    玄室(げんしつ)平面(へいめん)(がた)長方形(ちょうほうけい)小さな(ちいさな)羨道(えんどう)がつく

 いずれも、玄室(げんしつ)(うえ)(はん)()強く(つよく)持ち(もち)送ら(おくら)れてドーム(じょう)、あるいはドーム(じょう)類似(るいじ)した天井(てんじょう)構造(こうぞう)になっています。

5.横穴(よこあな)(しき)広く(ひろく)採用(さいよう)される(6世紀(せいき)前半(ぜんはん)

  • 有力(ゆうりょく)豪族(ごうぞく)首長(しゅちょう)(そう)埋葬(まいそう)設備(せつび)として
    奈良(なら)(けん)高取(たかとり)(まち) 市尾(いちのお)(はか)(やま)古墳(こふん)
    玄室(げんしつ)空間(くうかん)をより広く(ひろく)する必要(ひつよう)(せい)から使用(しよう)石材(せきざい)大きく(おおきく)なり、平面(へいめん)(がた)縦長(たてなが)に。
  • 群集(ぐんしゅう)(ふん)埋葬(まいそう)設備(せつび)として
    大阪(おおさか)()八尾(やお)() 高安(たかやす)古墳(こふん)(ぐん)
    大阪(おおさか)()河南(かなん)(まち) 一須賀(いちすか)古墳(こふん)(ぐん)

 (ぐん)形成(けいせい)()古墳(こふん)高井田山(たかいだやま)(かた)採用(さいよう)されています。ただこれらも、その後(そのご)大型(おおがた)横穴(よこあな)(しき)石室(いしむろ)()合わせる(あわせる)ように、玄室(げんしつ)平面(へいめん)(がた)はしだいに縦長(たてなが)になっていくようです。

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