柏原市の見どころ
柏原市は、大阪平野の南東部、大阪府と奈良県との府県境に位置しています。奈良盆地の諸流を集めた大和川が、金剛・生駒山地を横断して大阪平野に流れ出る付近に、その街並みを形成しました。
市域の3分の2を山が占め、中央部を大和川が流れています。大阪の都心からわずか20kmほどの距離にありながら、緑の山々と美しい渓谷、豊かな川の流れなど、多彩な自然環境を備えた、とても暮らしやすい市となっています。
山麓にはブドウ畑が多く、夏から秋にかけてはブドウ狩りが盛んに行われています。また、このブドウからできたワインは、柏原地ワインとして知られています。昔は河内木綿が有名でした。
歴史的には、約3万年ほど前にさかのぼってその足跡を知ることができます。山麓台地に残るプレ縄文、縄文、弥生式時代の遺跡にはじまり、松岳山古墳をはじめとした玉手山古墳群や高井田横穴群など全国的に有名な古墳の散在、さらには奈良時代の舟橋廃寺や田辺廃寺、国分寺、国分尼寺など十指にあまる古代寺院跡の存在などから往時の繁栄がしのばれます。
室町、戦国の柏原は、豊饒の地河内をめぐる戦国抗争の中にあって幾多の戦乱に動揺し、ついには織田と豊臣両氏の支配下におかれました。その後徳川幕府が確立されると、本市域は有事の際大阪に対する前衛地として重要な位置を占めることから、天領として幕府の直接支配下におかれました。
現在の柏原の姿は、宝永元年(1704年)に行われた大和川の付け替えに始まります。これは、柏原においてその流路をふさぎ、堺へ向かう新川を設ける大土木工事でありました。この大和川付け替えの時期は、それまで時勢の流れに従うままの柏原が旧態から前進し、脱皮する大転換期でもありました。この付け替えによって、旧大和川床に開発された新田は、木綿と米との輪作地として利用され、物産は了意川に就航した柏原船や新大和川の剣先船などによって商都大阪へと販路が開かれ、柏原の繁栄は再現されました。
明治22年に鉄道が開通して、柏原の近代改革を促進し、さらに昭和にはいると産業道路の開通による自動車運輸の発展によって、近郷の貨物の集散に柏原のもつ位置はより重要になってきました。
昭和14年には柏原町、堅上、堅下村との合併、昭和31年には柏原町、国分町との合併が実現し、昭和33年には待望の市制が施行されました。現在は「市民が活きいきとし にぎわいにあふれているまち 柏原」を目標に、各種施策を積極的に推進しています。
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柏原市役所所在地
〒582-8555
大阪府柏原市安堂町1番55号
電話:072-972-1501
人口:70,452人(平成29年3月末現在)
市域面積:25.33平方キロメートル