大和川物語
大和川物語 [中甚兵衛編] 作詞 中 好幸さんより掲載
1 わが町憩いの堤防沿いに
川に向かって凛々しく建つは
一人の男のブロンズ像
今はやさしく堺の方へ
流れる川を見つめるけれど
三百年のその昔
ごっつい苦労をしたそうな
2 勿論川は大和川
男の名は中甚兵衛
将軍綱吉あの頃の
河内の平野の大変化
大和川の付替に
命をかけたこの男
3 宝永元年付替の
工事はたったの八ヶ月
庄屋とはいえ百姓が
お上を動かすそれまでの
苦労の道のり四、五十年
とても言い尽くせないけれど
その一端でも唄いましょう
4 元禄以前の江戸時代
淀の流れに劣らない
南の大河が大和川
北へ向かって分流し
河内の平野をうねってた
おまけに河内の真ん中にゃ
大きな池が二つあり
水・水・水に囲まれる
5 大雨降ると川あふれ
田圃畑や家屋敷
砂を含んだ水かぶり
後の始末がさあ大変
6 そんなこんなで困るとき
玉櫛川のその下流
吉田川の浴岸の
今米村の庄屋の家に
気丈な男が生まれ出た
7 河内摂津の水所から
洪水被害を無くすには
手ぬるいことでは効果ない
南北大河を切り離し
大和川を九十度
方向転換せにゃ駄目と
緻密な計画練り上げた
8 頃は明暦三年の
江戸城大火のあった頃
甚兵衛歳まだ二十前
命をかけての江戸直訴
9 何とかお上の耳に入り
付替検分あったけど
新川筋はたまらない
先祖からの土地屋敷
取られてたまるものかはと
こちらも必至で猛反対
10 洪水おこるその度に
何度か幕府は再調査
特別持論がないために
こちら立てればあちらが立たず
中止の沙汰を繰り返す
11 付替実施が延びるほど
河内の状況悪化の一途
川筋だんだん高くなり
ついに起こった大惨事
12 延宝の二年寅年大洪水
玉櫛川の入り口の
二重堤が決壊す
秩序が乱れた大和川
切れた堤が三十五か所
河内大坂泥の海
13 その復興もならぬ内
卯年辰年容赦なく
大和川は荒れ狂う
遂に川底田地より
三メートルも高くなり
悪水はけずに大弱り
14 それまで静観してた村々も
他人ごとでは無くなって
付替運動盛り上がる
甚兵衛率いるその部隊
二百と五十も越える村
早くお助け下さいと
一致団結大嘆願
あれこれ迷った幕府筋
こんなに年貢も取れなけりゃ
何とかせずにはいられない
河村瑞賢引き連れて
とうとう本気で大調査
15 ところが御仁の言うことにゃ
大和川の付替は
取るに足らない愚策にすぎぬ
淀の下流を改善すれば
ほとんど事は解決出来る
お上も御仁にすべてをまかせ
三年がかりの大修理
水はけ少しは良くなって
その後は付替なんか不要だと
強い方針お触れ出す
16 そんな姑息な手段では
根本解決出来ゃしない
お上に情けはないのかと
甚兵衛歯ぎしりかんで悔しがる
一方こちらは改善されたから
怖いお上にゃさからわず
運動やめる村ふえる
三十年もの運動が
これで終わってしまうのか
17 だけど河内の低湿地
何も改善されてない
ここで挫けちゃなるものか
やめてく村は絶たぬけど
付替駄目なら別の案
百姓助かるだけでなく
こうすりゃ年貢も増えますと
ますます訴願に熱入れる
18 早や元禄も十一年
元のもくあみ懸念して
端賢さんは再工事
これで万事大丈夫
翌年江戸へと帰ったが
まもなく息をひきとった
ところが翌年その次と
河内はまたまた大水害
米は採れない悪水はけず
甚兵衛予測が的中す
19 江戸から視察役人も
ついに政策見直した
残るは「川違え」ほかにない
堤奉行をその役に
前向き検討命令す
改善工事を願い出る
甚兵衛らにも伝わった
最後に残った四十と二カ村
喜びいさんで奉行のもとへ
20 時の奉行は万年さん
名は長十郎というお方
団体陳情意味なしと
代表二人を選んだけれど
答えをするのは甚兵衛ばかり
その後は甚兵衛一人を指名して
何度も何度も呼びつけた
21 流石は事の始めから
詳しく調べた賜で
ひとつひとつが的を射る
万年さんも満足し
江戸の幕府に持ち込んだ
その上実施の暁は
工事の手伝いするよにと
名誉な言葉に甚兵衛が
初めて見せるうれし泣き
22 時は元禄十六年
遂に沙汰あり「川違え」
思えば人生五十年
それにも近い年月に
死んだ同志も数いるし
床に臥してる者もいる
六十五にもなったけど
最後の力をふりしぼり
不請完成してみせる
みなぎる自信と男意気
23 息子九兵衛を従えて
万年さんのお手伝い
目論見通りの竣工後
お礼のための江戸下り
直訴の思い出去来する
これですべてが終わったと
翌年剃髪仏門に
古い川筋・池の跡
多くの土地が新田に
河内木綿も花開き
大阪繁栄基礎築く
大和川の物語
ここらで幕といたします





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