【コラム】大和川つけかえに反対した人たち (2)最初の付け替え検分と反対運動付け替え反対運動の始まり

2021年9月14日

 大和川の付け替え検分とは、付け替えが必要かどうか、可能かどうかなどを検討するため、現地に入って地形の観察や測量などを行うことです。「見分」ともいい、史料ではほとんど「見分」と書かれていますが、同じことです。幕府から役人が派遣されて実施されるので、付け替え工事に着手する準備と考えていいと思います。
 万治3年(1660)の付け替え検分が最初の検分と考えられます。10月に幕府から片桐石見守貞昌、岡田豊前守義政が派遣され、「大和川、石川二ヶ所の川、志紀郡弓削村柏原村領内之堤ニて川御付ケ替可被成と御見分被遊、住吉手水橋より間縄御引せ、弓削村柏原村領内の堤に杭木御打被為成候ニ付」(太田村柏原家文書)とあります。つまり、弓削村と柏原村の境界付近から現在の大和川河口付近まで、新しい川を造ることができるかどうか検討した、ということです。実際の付け替え地点より2km近く北での付け替えを検討したいたようですが、ほぼ現在の大和川に近いルートで検討されていることは注目されます。
 この検分に対して、河内国志紀郡・丹北郡、摂津国住吉郡の村々が迷惑を訴えました。新大和川の建設予定地付近の村々が反対したのです。付け替え反対運動の始まりです。反対理由は、(1)田畑や家屋敷が川底となり、村の領地が分断される。(2)北へ流れている多くの川(東除川・西除川など)が、新しい大和川に流れを止められるようになるので、新川の南側は水損場になり、北側は日損場になると訴えています。(1)は自分たちの土地 が奪われるということです。(2)は既存の川の流れが妨げられ、新川の南側では洪水がおこりやすく水が滞りやすくなり、北側では田畑の用水がなくなってしまうので付け替えは止めてほしいと訴えているのです。
 この訴えがどの程度効果があったのかわかりませんが、検分の結果、幕府は付け替えではなく、大和、河内、摂津の三国に山の木の根を掘り起こすことを禁止し、山に苗木を植樹するように命じています。要するに、山が荒れることを防ぐことによって川への土砂の流れ込みを少なくすれば、洪水は防げると考えたのです。反対の村々は安堵したことでしょう。(安村)
 コラム2「大和川違積り図(新川計画川筋比較図)」 (中家文書)

令和3年9月14日(火)から12月5日(日)まで、企画展「つけかえ反対!-大和川つけかえに反対した人たち-」を開催しています。

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