【コラム】龍田古道(7)孝謙天皇の行幸

2020年5月23日

 聖武天皇のあと、娘の阿倍内親王が孝謙天皇として即位しました。孝謙天皇として龍田道を初めて利用したのは、天平勝宝元年(749)10月の智識寺行幸のときでした。即位して初めての行幸が智識寺だったのです。これは、完成間近の東大寺大仏の無事完成を祈願し、また感謝した行幸だったのでしょう。ただ、それまでも阿倍内親王の時代から、聖武天皇・光明皇后とともに難波宮行幸などに同行して、しばしば龍田道を利用していたことはまちがいありません。孝謙天皇にとって、龍田道はよく知った道でした。この行幸の際には、茨田宿禰弓束女(まんだのすくねゆづかめ)の宅を行宮として利用しています。
 次の行幸は、天平勝宝8歳(756)2月です。智識寺南行宮に宿泊し、河内六寺に参拝しています。河内六寺とは、智識、山下、大里、三宅、家原、鳥坂の六寺のことです。そのあと難波宮へ行幸し、その帰途にまた智識寺(南)行宮で宿泊しています。行きに4泊、帰りに2泊しています。
 これらの行幸に関連すると考えられる木簡が安堂遺跡から出土しています。そのうちの1点には、「若狭国遠敷郡 野里相臣山守 調塩三斗」と書かれています。これは、若狭から租税の調として平城宮に納められた塩の俵に付されていた荷札木簡です。裏面には「天平十八年九月」と書かれています。天平18年は、746年です。
 これらの木簡とともに、箸やヘラ形木製品、杓子形木製品、曲物などが出土しています。箸は平城宮などでしか出土しないものです。これらは、何らかの宴会に伴う木製品でしょう。また、桃、ウリ、クルミ、栗などの種子類が出土しており、これらは宴会の食べかすと考えられます。さらに木材の削り屑やものさしも出土しており、これらは建物の建築に伴うものと考えられます。これらの木製品は、天平勝宝元年(749)か天平勝宝8歳(756)のどちらかの行幸に伴うもので、建物の建築や行幸に伴う宴会のゴミがまとめて捨てられたものと考えられます。その中に、桃や栗など夏から秋にかけての果実を含むことを考えると、天平勝宝元年10月の行幸に伴う資料と考えるべきでしょう。これまで、安堂遺跡出土の木簡は智識寺南行宮に伴うと考えられることが多かったのですが、茨田宿禰弓束女の宅に伴うと考えたほうがいいのでしょう。つまり、木簡が出土した1985年度の安堂遺跡の調査地は、茨田宿禰弓束女の宅内と考えるべきでしょう。
(文責:安村俊史)

河内六寺の位置

河内六寺の位置

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