大和川つけかえと中甚兵衛~9~

2022年2月25日

甚兵衛の足跡を訪ねて

 それでは、中甚兵衛の足跡をたどってみましょう。まず、秋に柏原市立歴史資料館にお越しください。十代目の中九兵衛氏から寄贈された中家文書の主な史料が展示されています。例年100校以上の小学生が見学に訪れる必見の展示です。

 そこから歩いて30分ほど。大和川の付け替え地点へ行きましょう。堤を築いて大和川の流れを留めた地点なので、「築留(つきどめ)」といいます。柏原市上市2丁目、柏原市役所の北西にあります。治水公園として整備され、甚兵衛の銅像が立っています。この銅像は、甚兵衛着用と伝えられる陣羽織を着て、左手に丸めた書類を持ち、右手は遠くを指差しています。彫刻家高橋宏至氏の作で、柏原ライオンズクラブから平成元年(1889)に寄贈されたものです。像以外にも、説明板や付け替え250周年の記念碑などがあります。

 また、築留堤防の下には築留二番樋、三番樋が設けられています。付け替え後に流域の田畑への用水を確保するために設けられた用水です。正式には「大和川分水築留掛かり」といい、世界かんがい施設遺産に認定されています。また、築留二番樋はレンガ積みの美しい樋であり、国の登録文化財になっています。近鉄大阪線安堂駅または近鉄道明寺線柏原南口駅から徒歩3分のところです。

 次に今米村を訪ねてみましょう。近鉄けいはんな線吉田駅のすぐ北側に、今米公園(東大阪市今米1丁目)があります。ここには、大正4年(1915)に建てられた「贈従五位中甚兵衛翁碑」と刻まれた巨大な記念碑があります。碑の前には一対の狛犬があります。

 公園の東側の道を北へ進むと、公園に隣接して川中家とその屋敷林があります。中家とともに川中新田の経営にあたった川中家の屋敷で、今米緑地保全地区に指定されています。一部の資料に、ここが中甚兵衛の生家跡、または中甚兵衛は川中家の出身であるなどと書かれたものがありますが、それは誤解です。さらに100mほど北へ進んだ右手、そこが中甚兵衛の生家跡です。屋敷地は南北30間(約54m)、東西25間(約45m)あり、本家、小家、土蔵、納屋、長屋門が建ち並んでいたということですが、今に残るのは屋敷周囲の石垣のみです。この生家跡の南に「中家屋敷跡」と書かれたポールが立っています。

 その東に川中新田が南北にのびていました。洪水を繰り返した吉田川の跡です。現在は、その面影はほとんど残っていませんが、蛇行する道路や天井川の痕跡である高まりに、かつての流れを見てとることができます。

(文責:安村俊史)

甚兵衛の生家跡
写真:甚兵衛の生家跡

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