安宿郡の古墳と寺院~9~

2019年5月26日

飛鳥戸氏と安宿郡

 羽曳野市飛鳥周辺は、もともと飛鳥氏が本拠としていたと考えられます。岸俊男氏の研究(岸『日本古代籍帳の研究』)によると、飛鳥氏が戸籍に編入されることによって飛鳥戸(あすかべ)氏となったと考えられています。全国的に作成された最初の戸籍は、670年につくられた庚午年籍と考えられています。しかし、それに先立って戸籍がつくられていたところもあったようです。岸氏は、渡来系氏族を中心に戸籍の作成がすすめられ、戸籍に編入された氏族は、氏族名に戸をつけたのではないかと考えています。つまり、飛鳥氏が戸籍に編入されることによって、飛鳥戸氏になったと考えられるのです。

 飛鳥戸氏は、平安時代の『新撰姓氏録』によると、百済の昆支王あるいは末多王を祖とするとされています。昆支王は百済の王族で、末多王はその息子です。どうやら、飛鳥戸氏は百済の王族の血をひくようです。

 安宿郡はもと飛鳥戸評でした。この飛鳥戸氏の氏族名が、そのまま郡名になっているのです。当然、安宿郡の中心氏族は飛鳥戸氏だったのでしょう。そして、飛鳥戸氏は、羽曳野市飛鳥周辺を拠点としたのでしょう。飛鳥にある飛鳥戸神社は『延喜式』神名帳に記される神社で、昆支王を祭神としています。

 また、柏原市田辺周辺には、やはり百済からの渡来系氏族である田辺史氏が居住していたと考えられます。田辺廃寺も、田辺史氏が中心となって建立したのでしょう。そのほかには鋤田連氏、上村主氏などがいたようですが、よくわかっていません。いずれにしても、渡来系氏族の多い郡だったのはまちがいないでしょう。

 ところで、昆支が渡来したのは5世紀後半ですが、安宿郡では6世紀後半まで顕著な古墳や集落遺跡が確認できません。飛鳥戸氏がこの地に定着するのは6世紀後半以降と考えられます。昆支やその一族は、6世紀後半までは別の地を拠点としていたのでしょう。

(文責:安村俊史)

飛鳥戸神社
写真:飛鳥戸神社

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