安宿郡の古墳と寺院~5~

2019年4月28日

安宿郡の終末期古墳

 安宿郡には、玉手山古墳群、松岳山古墳群などの前期古墳が多数みられますが、中期になると古墳は少なくなり、後期になると安福寺横穴群や玉手山東横穴群などがみられます。横穴は6世紀中ごろから7世紀初めにかけて営まれますが、これにやや遅れて6世紀後半以降に群集墳の造営が盛んになります。羽曳野市域には飛鳥千塚古墳群が広がっており、その北に五十村古墳群、誉田山古墳群、少し離れて田辺古墳群や北峯古墳群などがあります。近畿では一般に6世紀代の古墳が多いのですが、安宿郡では7世紀代のほうが古墳の数が多くなります。これが大きな特徴です。

 飛鳥千塚古墳群では、76基の古墳が確認されており、北に位置する五十村古墳群、誉田山古墳群を加えると総数139基の大群集墳となります。実際にはこれよりもかなり多くの古墳が存在したと考えられますが、古墳はあまり密集することなく数基から十数基ごとにまとまる傾向があります。調査された古墳は多くありませんが、渡来系氏族と関わりが深いミニチュア炊飯具が多数出土していることから、その多くが渡来系氏族の古墳であったと考えられます。

 また、横口式石槨を埋葬施設とする古墳が7基以上あったことも注目されます。横口式石槨とは、棺を納めるだけの空間しかない石槨の前面に羨道や前室が取り付く形態のものです。南河内で盛行し、7世紀中ごろには皇族や上級官人の埋葬施設として採用されるようになります。

 田辺古墳群は終末期の群集墳として著名です。2基一対の造墓形態は夫婦の古墳と考えられています。百済からの渡来系氏族である田辺史氏の墓域と考えられ、7世紀前半から末にかけて古墳が造られ、8世紀には火葬墓も造られています。

 このように安宿郡では一般に古墳の造営が下火に向かう6世紀末以降に古墳造営のピークを迎えるという特徴があります。集落遺跡も7世紀以降に増加することから、7世紀ごろから人口も増加したと考えられます。

(文責:安村俊史)

飛鳥千塚古墳群分布図
飛鳥千塚古墳群分布図

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