河内国分寺

2019年2月22日

 天平13年(741)、聖武天皇によって国分寺建立の詔が発せられました。律令制度をおし進め、中央集権・民衆支配の強化をはかる時の政府にとって、鎮護国家・鎮災到福を説く仏教は、政策を推進する上での大きな支えとなりました。国分寺はそうした時代精神を具現化し、華やかな天平文化を象徴する一大モニュメントでした。正式には、男性のための僧寺である国分寺を「金光明四天王護国之寺」、女性のための尼寺である国分尼寺を「法華滅罪之寺」といい、国ごとにおかれました。大和国の平城京には総国分寺として東大寺、総国分尼寺として法華寺が建立されました。

 こうした国分寺の造営は、諸国にとってはかなりの財政負担であり、当初はなかなか進展しませんでしたが、地方有力者の郡司などの協力を得て、奈良時代後半にはほぼ全国的に伽藍が整えられました。

河内国分寺跡

 柏原市国分東条(ひがんじょ)地区の東部には、古くから東条廃寺、塔本(とのもと)廃寺と呼ばれる古代寺院跡がありました。昭和9、10年に大阪府が調査すると、荘大な塔の跡が確認されました。そして昭和45年、大阪府教育委員会による塔跡及び周辺地の発掘調査で、塔基壇の規模や構造、また金堂院の中門と推定される遺構の存在が明らかになり、現在ではこの東条廃寺が河内国分寺跡と考えられています。

立地について

 河内国分寺は、明神山地の北西麓で、大和川に向かって派生する舌状台地の末端部に立地しています。元正、聖武天皇が利用した竹原井頓宮(青谷遺跡)は大和川を挟んで対岸にありました。北は崖、南も山の急斜面で遮られたわずかな平坦地に建立されていました。東の尾根に塔、西の尾根に金堂・講堂と、異なる尾根筋を利用し、そのあいだには谷筋が通っています。寺院の立地には適さない土地といえます。またこの国分寺は、河内国が畿内の大国であるにもかかわらず、河内国府から4km近くも離れていました。

※国府…奈良時代から平安時代に国司が政務を執る施設(国庁)が置かれたところ。各国の国府付近には国分寺・国分尼寺、総社(惣社)が置かれ、そこは政治・司法・軍事・宗教の中心地だった。河内国の国府は藤井寺市国府(こう)にあったと考えられている。

河内国分寺地図
河内国分寺跡地図

 どうして国府から遠くて、大寺院を営むには適さない大和川の峡谷に建てられたのでしょう。

  • 国分寺建立の詔にある立地条件「風光明媚で人家の雑踏から離れており、人が集合しやすい交通の便の良い土地」に合っていた。
  • 旧大和川沿いに大和と難波を結ぶ竜田道が通り、国府とも繋がっていた。
  • 奈良時代前半から頻繁に利用された竹原井頓宮に近かった。
  • 田辺氏などの在地豪族との関係。
  • 河内国分寺のある地域は古代の国郡制で「河内国安宿郡資母郷(あすかべぐんしもごう)」にあたり、「安宿媛」とも伝えられる光明皇后との関係。

などが考えられます。

 寺から北側は大和川の眺望がよく開け、眼下には青谷遺跡を望めました。また青谷遺跡からは、高台にある国分寺金堂、その左手に七重塔がそびえるのが見え、この辺りは非常に景観が良かったと思われます。

伽藍配置

 河内国分寺の伽藍配置は、塔と金堂は1つずつ、塔は全体の中軸線上になく東西に寄った「国分寺式」です。しかし近年の調査で、金堂院(推定)よりもさらに西側の尾根の一部で柱穴の並びが確認されました。塔や金堂・講堂以外の建物の配置、寺域の範囲など、河内国分寺の伽藍の復元は今後に残された課題です。

河内国分寺伽藍配置
推定伽藍配置(出典:大阪府教育委員会1970『柏原市国分東条町 河内国分寺跡 発掘調査概要』)

調査について

昭和9~10年 大阪府

 大正の頃から礎石が持ち出されていたため、調査が行われました。荘大な塔の跡が確認されて「謎の河内国分寺の発見」とマスコミでも喧伝されましたが、調査報告の公開には至りませんでした。

昭和45年(1970)大阪教育委員会

 塔跡が調査され、塔基壇の規模や構造が明らかになりました。また塔跡から谷を隔てた西側の台地、塔の中心から南へ約25m、西へ約84~104mの地点で、東西に延びる凝灰岩切石列と小石敷が検出され、この石列は北側に金堂、講堂を配した金堂院の中門跡と考えられました。


調査位置図(出典:大阪府教育委員会1970『柏原市国分東条町 河内国分寺跡 発掘調査概要』)

 塔基壇は凝灰岩切石を組み合わせた檀上積基壇で、一辺約19m、高さ1.54mの良好な状態で残っていました。四方に6段の階段が取り付き、基壇上面は凝灰岩切石を斜めに敷き詰める「四半敷」という美しい基壇です。

※基壇…基壇とは、瓦ぶきのような重たい建物を上に建てるために敷地面より一段高くつくった基礎(壇)のこと。壇上積基壇とは、周囲に羽目石、束石、地覆石などを積み上面に瓦や石を敷いた基壇をいう。

 
中門跡図(出典:大阪府教育委員会1970『柏原市国分東条町 河内国分寺跡 発掘調査概要』)


塔跡図(出典:大阪府教育委員会1970『柏原市国分東条町 河内国分寺跡 発掘調査概要』)

 花崗岩で円座・出枘(でほぞ)が造り出された礎石は心礎を含めて6石残っており、その配置から塔の一辺長は10.36mと復元されています。この規模からすると、七重塔が建っていたことは間違いありません。

 こうした調査成果や地形などから、台地と大和川の間の低地を含む東西2町(約220m)・南北2町半(約270m)の寺域が想定されていました。

※円座…柱を受ける円形の座
※出枘…柱とつなぎ合わせるために礎石に施された突起をいう。

平成20年(2008)柏原市教育委員会

 昭和45年(1970)の調査で中門跡とされていた遺構は、金堂の基壇とその南階段に伴う可能性が高いことがわかりました。金堂の基壇規模は、推定で東西44m、南北28.2m、そこに幅16.7mの階段がつきます。金堂下層から、小規模な基壇状遺構も確認され、国分寺に先行する仏堂のような施設が想像されます。

金堂跡南階段
推定金堂跡南階段

基壇上遺構
基壇状遺構

 出土した多種類の軒丸・軒平瓦のうち、塔・金堂の主体をなすのは、青谷式の複弁七葉蓮華文軒丸瓦と均整唐草文軒平瓦C種です。これによって、河内国分寺の創建年代は青谷遺跡の造営年代に近いと考えられますが、A・B種の出土がないことから、青谷遺跡よりも若干遅れるようです。
青谷式軒瓦について

 この複弁七葉蓮華文軒丸瓦と均整唐草文軒平瓦のセットは「河内国分寺式瓦」ともいわれ、奈良時代中頃のものと考えられています。この瓦は青谷遺跡(竹原井頓宮跡)や河内国府周辺でも使用され、誉田御廟山(応神陵)古墳外堤では窯跡が発見されています。

複弁七葉蓮華文軒丸瓦
複弁七葉蓮華文軒丸瓦

均整唐草文軒平瓦
均整唐草文軒平瓦

※誉田御廟山(応神陵)古墳外堤古室遺跡…藤井寺市と羽曳野市の境界に位置する誉田御廟山(応神陵)古墳の北側で、河内国分寺と同笵関係が認められる複弁七葉蓮華文軒丸瓦や均整唐草文軒平瓦などが出土しており、瓦窯跡と考えられている。

 一方白鳳~奈良時代前半の瓦もあり、前身寺院の存在も推定されていますが、確認されていません。さらに平安~鎌倉時代にかけての瓦も多く、伽藍全体の整備の進捗状況、古代~中世にかけての寺勢の推移など、究明する課題は多くあります。なお、一部の瓦は、田辺にあった瓦窯で焼かれたことがわかっています。

※田辺瓦窯…河内国分尼寺の南西約600m、田辺池の東側にあった瓦窯跡。河内国分寺と同笵の偏向唐草文軒平瓦などが出土している。

府の有形文化財 河内国分寺塔跡出土瓦

 塔跡付近から採集された軒丸瓦瓦当(がとう:軒先を飾る瓦の文様のある部分)3種類4点、軒平瓦瓦当3種類7点の 計11点が、大阪府の有形文化財に指定されています。

単弁十二葉軒丸瓦
府指定の単弁十二葉蓮華文軒丸瓦

複弁八葉蓮華文軒丸瓦
府指定の複弁八葉蓮華文軒丸瓦

現在の河内国分寺跡

 河内国分寺の塔跡は、風化・破損を防ぐために埋め戻された後コンクリートで固められ、現在、復元された基壇が見学できるようになっています。

 近年の調査では、国分寺は平安時代を中心に栄え、その後律令制度の崩壊とともに財政的基盤を失い、中世には荒廃したとみられています。ただし、中世以後も当初とは異なる宗派や性格の寺院となって存在したり、後世に再興されたりして現存する国分寺も多数あります。

 なお、塔跡の東にある「宗教法人 河内国分寺」は古代の河内国分寺とは関係ありません。

河内国分跡
現在の河内国分寺塔跡

河内国分尼寺

 国分寺から西南西へおよそ800m、国道25号線の南側一帯に、「尼寺」という小字名がみられます。柏原市国分東条地区の北西の一画にあたり、奈良時代の瓦も出土することから、この付近に河内国分尼寺があったと考えられます。


小字名「尼寺」の残る場所(網の部分)※●は調査地点

 寺域が想定される場所は、北へ下る緩やかな斜面で、国分寺跡よりも開けたところですが、近世以前は北に屈曲する大和川の水が滞水する沼沢地に臨む地形だったと思われます。

 国分尼寺の遺構はまだ見つかっていませんが、近年の小規模な発掘調査で軒丸瓦、平瓦、土師器などが出土しており、伽藍を構成する建物の基壇や礎石、柱穴などの発見が期待されます。

 出土した少ない軒丸瓦の中に「国分寺建立の詔」以前の瓦があり、河内国分寺のものと同笵関係が認められます。国分寺の軒丸瓦は、奈良時代後期を中心に奈良時代前期(白鳳時代)~平安・鎌倉時代の型式で構成され、おそらく国分尼寺も類似した様相を示すと思われます。一方平瓦については、これまでのところ一枚作りのもののみが知られています。

重圏文軒丸瓦
重圏文軒丸瓦

複弁八葉蓮華文軒丸瓦
複弁八葉蓮華文軒丸瓦

複弁六葉蓮華文軒丸
複弁六葉蓮華文軒丸瓦

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