長瀬川・玉串川が世界かんがい施設遺産に登録!-2-

2018年10月14日 (文化財課)

なぜ、世界かんがい施設遺産に選ばれたのか?

 長瀬川・玉串川を知っている人は、どうして世界かんがい施設遺産になったのだろう?と不思議に思われるかもしれません。どこにでもあるような流れではないか?と思われるのも当然でしょう。それでは、長瀬川・玉串川が世界かんがい施設遺産に登録された理由について説明しましょう。

 大阪の方ならば、大和川の付け替えは知っているでしょう。江戸時代の宝永元年(1704)に洪水をくり返す大和川は、柏原から堺の海へ向かって西へと流れるように付け替えられました。この経過については、当館で開催中の秋季企画展「わずか8か月の大工事-大和川のつけかえ-」(平成30年12月9日まで)をご覧ください。

 大和川付け替えによって、旧大和川には水が流れなくなり、河床には新田が開かれました。そして、旧大和川のほぼ中央に、以前からの田畑に水をもたらすためにつくられた人工の用水路が、「大和川分水築留掛かり」すなわち長瀬川・玉串川なのです。新田の中につくられた長瀬川・玉串川は、新田の水として利用されたと考えている人が多いのですが、そうではありません。付け替え以前からあった各村々の田畑の用水として利用されたもので、新田には利用されていません。旧大和川は天井川だったので、新田は長瀬川・玉串川よりも高い位置にあり、その水を直接利用できなかったのです。新田の水は、旧大和川の地下を流れる豊富な伏流水を井戸で汲み上げて使っていました。

 「大和川分水築留掛かり」は、新大和川から水を引き、流域75か村、約4,000haもの地域に水をもたらしました。ほかに例を見ないような大規模な用水でした。しかも、流域の村々によって維持管理され、300年以上たった現在まで続いています。また、最近は流域の方々が水に親しむ場としても利用され、すっかり生活の中に溶け込んでいます。

 このように、「大和川分水築留掛かり」は、歴史的にも重要であり、流域の人々の生活に欠かせない用水でした。河内地域の変化、発展とともに歩んできた施設なのです。これらの点が高く評価され、このたび世界かんがい施設遺産に登録されることになったのです。

(文責:安村俊史)

築留堤防から見た「大和川分水築留掛かり」
写真:築留堤防から見た「大和川分水築留掛かり」

【速報展やってます!】
当館では、速報展「長瀬川・玉串川が“世界かんがい施設遺産”に登録されました!」を開催しています。
この機会にぜひご覧ください。

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