わずか8か月の大工事~6~

2018年10月21日 (文化財課)

明石藩

 播磨国明石藩は、今の兵庫県明石市を中心とした6万石の藩です。元和3年(1617)に、姫路城主の池田光政の所領から、十万石が小笠原忠真に与えられ、明石城が築かれたことに始まります。その後、松平氏、大久保氏、松平氏、本多氏とうつりかわり、天和2年(1682)に、越前大野(福井県)から松平直明が6万石で藩主となりました。これ以降、石高は6万石です。そのころから藩の財政は苦しく、直明は新田開発や煙草栽培で実利をあげましたが、元禄6年(1693)には大干ばつにもおそわれました。そのため、藩士の俸禄の借り上げまでしています。

 元禄14年(1701)10月、直明のあとに藩主となった嫡男松平直常のときに大和川つけかえ工事の手伝いを命じられました。これによって、藩の財政はさらに悪化しました。そのため、藩士に質素倹約に努めるよう倹約令をしばしば出しています。そこに追い討ちをかけるように、享保17年(1732)ごろから、蝗害、干ばつ、大洪水と災害が相次ぎ、藩の財政はますます悪化し、享保20年(1735)には一揆もおこっています。大和川つけかえ工事への参加が明石藩の人々をとても苦しめることになったのです。

 明石藩は、姫路藩が着工した東側、庭井村から浅香山谷口(遠里小野村)までの23町(約2.5km)の工区を担当しました。上町台地を掘削しなければならないもっとも困難な工区です。もっとも高い浅香山付近で約3間(5.4m)の掘り下げが必要でした。しかも、上町台地は非常に堅い土質で、掘り下げは大変だったと思います。

 ここは、浅香の千両曲がりと呼ばれる工区でもあります。また、浅香の狐のたたりなど、何かと伝説の多い地です。この工区を担当し、工事後にさらなる藩財政の悪化に苦しんだ明石藩の人たちこそ、狐にだまされたような気持ちだったかもしれません。

 現在の明石城は堀と石垣、それに2つの隅櫓が残るだけですが、公園として整備され、多くの人に利用されています。JR明石駅のホームからの眺めが、もっとも美しいかもしれません。

(文責:安村俊史)

明石城
写真:明石城

【秋季企画展のご案内】
平成30年9月12日(火)から12月9日(日)まで、秋季企画展「わずか8か月の大工事-大和川のつけかえ-」を開催しています。
ぜひ、お越しください。

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