三田家と寺田家6

2018年4月11日

浄久と『河内鑑名所記』

 三田浄久(1608~88)は、名著『河内鑑名所記(かわちかがみめいしょき)』の著者でもあります。17世紀後半になると、各地で地域の名所旧跡などを紹介する書物が刊行されています。観光ガイドブックのようなものです。ガイドブックは、現在と同じように人々の需要があってはじめて必要とされるものです。このころになると、人々の往来が活発になり、名所旧跡を訪ねる人が増えていたということでしょう。浄久も河内のガイドブックをつくろうと考えたようです。

 延宝7年(1679)、浄久が72歳のときに『河内鑑名所記』は刊行されています。それに先立って、浄久は知友から河内の名所旧跡にちなんだ俳句や短歌を募集しています。名所旧跡の選定とともに、趣味の俳諧を取り入れたガイドブックにしようと考えたのです。この募集に応じた人は260人で、そのなかで河内の人が117人ありました。短歌(狂歌)245首、俳句952句が集まり、浄久の交遊の広さを示すだけでなく、河内の文化の高さを示しているといえるでしょう。

 浄久は河内一円の実地踏査を行ったうえで、河内国の16郡の神社仏閣、名所旧跡を選定し、短い解説とともに、多数の俳句・短歌を並べています。それだけでなく、71点の挿絵も描かれています。三田家には浄久自筆の稿本が残されており、それをみると、挿絵も浄久が描いた下絵をもとに画工が仕上げたことがわかります。しかしながら、画工がだれなのかは不明です。

 『河内鑑名所記』は6巻から成りますが、1巻と6巻は二分冊になっているため、計8冊になります。序文は北村季吟によるもので、延宝7年(1679)7月吉日に、洛陽書林章蔵堂から出版されています。同様な書では、享和元年(1801)に秋里籬島によって刊行された『河内名所図会』が有名です。この『河内名所図会』にも『河内鑑名所記』からの引用が多くみられます。『河内鑑名所記』は、浄久渾身の一作といっていいでしょう。

(文責:安村俊史)

船だまり跡横の了意川
写真:船だまり跡横の了意川

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