石畳と淡い街灯まちづくり 【太平寺地区~歴史のロマンとぶどうの香るまち~】

2021年8月1日

大阪府「石畳と淡い街灯まちづくり支援事業」とは

「大阪ミュージアム構想」のコンセプトのもと、大阪の歴史的・文化的資源等を活かし、「石畳と淡い街灯」など街の個性や魅力を引き出すまちづくりを支援し、人が集い・賑わい・交流する大阪を全国にアピールしていく事業です。

 他市では、以下の5地区が採択されています。
        ・箕面市(阪急箕面駅周辺・箕面公園沿道地区)
        ・枚方市(枚方宿と枚方浜周辺地区)
        ・富田林市(富田林駅南地区)
        ・河内長野市(高野街道周辺地区)
        ・岸和田市(岸和田城周辺地区)

太平寺地区の選定理由

「小高い丘陵にある歴史的街並み、ぶどう畑の農風景、ワインやぶどうといった特産品をうまく取り込んだ提案で、地域の強みを活かして地域経済の活性化やコミュニティの再生等に取り組むプランとなっている。歴史的・文化的資源の質は高く、また良好な状態で維持されている。こうした、まだ知られていない大阪の資源を発掘しアピールしていく取り組みは、これから地域資源を活かしたまちづくりに取り組む団体等へのモデルとなる。」

(歴史・文化的まち並み再生補助金モデル地区審査会の選定理由より)

柏原市太平寺地区の位置図

柏原市は大阪府の東部に位置しております。
太平寺地区は、柏原市の中央付近に位置しております。
最寄駅は、近鉄大阪線では安堂駅(徒歩約10分)・堅下駅(徒歩約20分)、JR大和路線では高井田駅(徒歩約20分)です。

歴史のロマン

智識寺跡

智識寺は、7世紀中ごろから後半にかけて、仏教を深く信仰し、寺や仏像を造るために財産や労働力を提供した「智識」と呼ばれる人々によって建立された寺です。
『続日本紀』には、天平12年(740)2月、聖武天皇が難波宮へ行幸の途中、智識寺の盧舎那仏を拝し、そのすばらしさに感動し、自分もこのような仏像を造ってみたいと思って造られたのが東大寺の大仏であったことが記録されています。
東塔と西塔については、発掘調査や村絵図によりほぼ位置が確定され、そこから寺域は約120m四方で、東塔、西塔、中門、金堂、講堂からなる薬師寺式の伽藍配置であったと考えられています。
また塔は高さ50mの五重塔であったと推定されています。

 

業平伝説

在原業平(ありわらのなりひら)は平安時代前期の歌人であり、六歌仙と三十六歌仙の一人でもあります。『古今和歌集』への30首をはじめ、数々の名歌を残しました。
『伊勢物語』は平安時代初期の歌物語で、作者や成立の過程など詳しいことはわかっていませんが、在原業平が主人公であるとされています。
『伊勢物語』第23段に、河内越の物語が登場します。男(業平)が高安の女のところへ行ったとき、女が自分でしゃもじを取ってご飯を盛っている姿を覗き見したことから恋が醒めたという逸話が残っています。
業平が、河内の国の高安へ行く際に通ったとされる道は諸説ありますが、その1つが、柏原市安堂、太平寺、大県を経て、八尾の高安へと至る道で、地元では業平道と呼ばれています。

石神社と楠

石神社では祭神として、欽明(きんめい)天皇の皇后である石姫(いしひめ)皇后を、また石長比売(いわながひめ)と熊野権現を合わせて祀っています。
鳥居の前には、周囲約6メートル、高さ約16メートルの巨大な楠があります。この楠は樹齢約800年といわれており、大阪府の天然記念物に指定されています。
境内社務所の横には、奈良時代に建立された河内六寺の一つである智識寺の東塔の礎石があり、大阪府の文化財に指定されています。

 

清浄泉

この井戸の水脈は、生駒山地の地形生成時に生じた岩盤の節理に沿うもので、岩盤が地表に近くなったところで湧き出しています。
奈良時代、この付近には河内六寺が甍を連ねていました。その中でも特に規模の大きかった智識寺がこの井戸の近くにあり、聖武天皇、孝謙天皇、称徳天皇が行幸された記録が残っています。
また智識寺の南には、天皇が行幸する際の仮の御所である「行宮(あんぐう)」があったとされ、昔から天皇、僧侶、村人がこの井戸の水を使っていたと考えられています。
俗説で、空海(弘法大師)がこの地を訪れ、この井戸を掘り起こし、付近の住民や農作物を干ばつから救ったとの言い伝えがあり、「大師の水」として大切に利用されています。
昭和58年に、この井戸と水脈を含む地域が、大阪府の史跡に指定されました。

 

ぶどうの香るまち

ぶどう産業

旧堅下村は、現在の柏原市山ノ井、平野、大県、太平寺、安堂、高井田にあたり、ここで栽培されたぶどうは、今でも「堅下ぶどう」と呼ばれています。
明治11(1878)年に、堅下村平野の中野喜平氏が甲州ぶどうの苗木の育成に成功しました。当初、ぶどうは宅地内で、日陰樹を兼ねて栽培されていたようですが、綿の生産衰退に替わって田畑で栽培されるようになりました。
明治時代はぶどう栽培の模索期にあたり、病害虫の予防や施肥、剪定、適応品種の選定などが、個人の努力によって手探りで進められた時代でした。
明治末から昭和初期にかけて、ぶどうの栽培は定着し、新品種の栽培も試みられるなど、拡大を続けました。昭和10(1935)年の、大阪府におけるぶどうの栽培面積は866haで全国最大でしたが、その30%近くを堅下村が占めていました。
大正6(1917)年には温室による加温栽培も始まり、それにより6月頃には出荷が可能になりました。しかし太平洋戦争が始まると、キラキラと光る温室は空襲目標になるという理由で、昭和20(1945)年3月までに全て撤去されました。
太平洋戦争中、他の果実が生産統制を受ける中、ぶどうの栽培面積はあまり変化しませんでした。その理由は、ワイン醸造中にできる酒石酸が電波兵器に必要であったため、生産が奨励されたためです。
戦後、ぶどうの生産は徐々に復興していきましたが、昭和25(1950)年のジェーン台風、昭和36(1961)年の第二室戸台風により大きな被害を受けたことや、高度経済成長による宅地開発の急増により、平地部のぶどう園は次々と宅地化され、栽培面積は減少していきました。
現在の柏原市のぶどう栽培面積は約150haで、昭和10(1935)年の510haに比べると、約70%減少しています。しかし収穫量の減少幅はそれほど大きくなく、2,000t前後が続いています。効率的な栽培により、単位面積当たりの収穫量が増加していることがうかがえます。
府内の市町村で、柏原市は羽曳野市に次いで2位の栽培面積・収穫量を誇っています。また特徴として、栽培品種が豊富なこと、マスカット・ベリーAの収穫量は府内で最高であること、観光農園が盛んなこと、ワインや菓子類への加工が盛んなことがあげられます。

            

カタシモワインフード貯蔵庫及び所蔵資料

カタシモワインフードにあるぶどうの貯蔵庫は、大正時代に建てられたもので、1階は鉄筋コンクリート造、2階は木造です。1階の床と壁はコンクリートの内部に炭を詰めた構造となっており、気温や湿度の影響を少なくすることができます。ぶどうの生産が大きく発展した時代に、出荷時期をずらすことでその価値を高めるという生産者の知恵から生まれた工夫です。
ワイン製造に成功し各地に出荷されるようになってからは、ワイン貯蔵庫として使用されています。
ぶどう生産という地場産業の近代化遺産として価値があり、この地域の景観を演出していることから、平成17年に国の登録有形文化財になりました。
昭和11(1936)年ごろには醸造許可を持つ農家は70件にものぼっていましたが、現在まで残る業者は、大正3(1914)年創業のカタシモワインフードだけとなりました。
西日本最古といわれるカタシモワインフードには、ぶどうを押しつぶし、しぼり、醸すといった基本的な作業工程で用いる道具類をはじめ、酵母菌の検出、培養を試みたことをうかがうことができる実験用具、そしてそれらを組み合わせた手製の器具が保存されています。
これらの醸造用具は、大正から昭和半ばにかけて使用されたもので、柏原の地場産業、生業を示す特色ある貴重な資料であることから、平成22(2010)年6月25日に柏原市指定有形文化財に指定されました。

      

整備方針

太平寺地区の整備方針は、「歴史の道整備と特産物(ぶどう・ワイン)の発信により、地域の活性化を目指すまちづくり」を目標とし、以下の項目をまちづくりの具体的方針として整備を行いました。

 1.歴史・文化・自然にふれあえるまちづくり
 2.ぶどう・ワイン・歴史を活かし、地域活性化につなげるまちづくり
 3.来訪者と地元のふれあいが高まるまちづくり
 4.地域住民がまちづくりに積極的に参加するいきいきとしたまちづくり

以下では、主にハード整備(工事関係)の内容について紹介します。

坂道の石畳風舗装

地区の中心から観音寺へ至る坂道は、地区の中心道路的な存在であり、また沿道には古民家が多く存在することから、特に景観に配慮した舗装として、石畳風の模様をつけたコンクリート舗装に改修しました。
電柱には木柱風の巻き化粧を施し、和風デザインの照明灯を設置しました。

               

整備前                    整備後

せせらぎ水路と遊歩道の美装化

地区の北東にあるせせらぎ水路の沿道には、いまなおぶどう畑が広がっています。
里道沿いの小道の上には、ぶどう棚がトンネル状に張り出しており、独特の景観を醸し出しています。
せせらぎ水路と小道の修景を行うことにより、散策ルートとして積極的に活用していきます。

     

整備前                    整備後

業平道および地区内道路の美装化

地区内には、在原業平が高安通いの際に通ったとされる業平道や、智識寺跡、清浄泉などの歴史的資産が存在します。
これらの歴史的資産を磨きあげ、アピールしていくために、地区内道路の舗装美装化を行いました。

     

整備前                    整備後

お問い合わせ

にぎわい観光課
電話072-940-6165