~天井川と洪水6~

2017年10月25日

幕府の土砂留対策

 幕府も大和川の洪水対策を行っていなかったわけではありません。堤防の補修工事などを行うとともに、大和川の付け替えが必要かどうか、万治3年(1660)、寛文5年(1665)、寛文11年(1671)、延宝4年(1676)、天和3年(1683)と5回の付け替え検分を実施していましたが、付け替え反対運動などもあり、そのたびに付け替えは見送られていました。そして、元禄16年(1703)の6回目の検分で、ようやく付け替え工事の実施が決定されました。

 また、幕府は山が荒れるのを防ぐために、山の樹木保全のためのお触れや、それを監視するための土砂留役人(奉行)を命じて、山の見廻りなどを行わせています。初めての検分が行われた万治3年(1660)に、大和など三箇国に山の木を根から掘り起こすことを禁止し、苗木を植えることを命じた触れをだしています。

 寛文6年(1666)には、同様な内容の「山川之掟」が出され、取り締りを厳しくしています。また、貞享元年(1684)には「山川掟」の徹底を命じ、土砂留役人の任命を行っています。土砂留役人は諸藩の役人などが命じられ、各地の山を見廻って、荒れているところがあれば適切な指導を行うことになっていました。

 土砂留役人は、年に1~2回、割り当てられた村々を巡回しています。しかし、実際に山に入って確認、指導することは少なく、各村の状況を聞くだけだったようです。村では穏便に済ませたいので、役人を食事などでもてなし、次の村へ無事に送り届けることに専念したようです。そのために多額の経費が必要だったようですが、植樹をすることに比べれば安価に済んだのでしょう。

 洪水の被害を受けるのは川沿いの村々で、山沿いの村々に洪水が及ぶことはありません。その洪水被害軽減のため、山沿いの村々に木を植えることを命じても、あまり効果がなかったことはやむを得なかったのではないでしょうか。

(文責:安村俊史)

山川之掟
文:「山川之掟」寛文6年(1666)

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