~天井川と洪水3~

2017年10月1日 (文化財課)

荒れる山

 川には水が流れるだけでなく、水とともに土砂やゴミなども流れてきます。旧大和川では、13世紀ごろに川の流れを固定したため、運ばれてきた土砂は川底に溜まっていきました。16世紀ごろまでは土砂の量は少なかったようですが、17世紀ごろから運ばれてくる土砂の量が急に多くなったようです。どうして土砂量が多くなったのでしょうか。それは、山が荒れてきたからです。

 昔から、人々は山の樹木を利用して生活してきました。建築材や炊事の薪として山の木々を切り出していました。人々が生活に利用する程度ならば、山が荒れることはなかったでしょう。ところが、17世紀ごろから多くの樹木が切り出され、山が荒れだしたようです。その原因は、人口の増加や生活の多様化にありました。

 人口の増加に伴って、必要とする建築材や薪の量も多くなります。そして、もっとも困ったのが、樹木を根から掘り起こすようになったことです。人々は、日が暮れると眠る生活をしていました。それが、夜なべ仕事などで次第に夜更かしするようになったのです。夜の明かりとして油やろうそくがありますが、それらは高価なため、樹木の根を燃やして明かりとして使うようになったのです。そのために、樹木を根から掘り起こすようになりました。松のようにヤニを含んでいる樹木が多く利用されたようです。

 山の草木は、雨が降っても一時的に水を蓄える役目を果たしてくれます。ところが、根から掘り起こして山の地肌が露出すると、雨水がそのまま川に流れ出すだけでなく、一緒に土砂も流れ出すようになります。とりわけ大和・河内の山には、花崗岩の風化した真砂という砂のような土が広がっています。地肌が露出すると、土砂が流れ出しやすくなるのです。

 それだけでなく、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で大和・河内の多くの家屋が焼き払われ、多数の建築材が必要になったことや、石材の利用が盛んになり、その切り出しが激しくなったことも山が荒れる一因だったのではないかと考えられています。

 このように江戸時代になると人々の生活の変化とともに山が荒れ、山から流れ出す土砂の量が増えました。その土砂は、大和川に流れ、川底をどんどん高くしていきました。こうして、大和川は急速に天井川になっていったのです。

(文責:安村俊史)

松の根を燃やす台
図:松の根を燃やす台、「松とうがい」「松あかし」などという。

【秋季企画展のご案内】
平成29年9月12日(火)から12月10日(日)まで、企画展「天井川と洪水―大和川のつけかえ工事-」を開催しています。

お問い合わせ

文化財課
582-0015 柏原市高井田1598-1(歴史資料館内)
電話:072-976-3430
ファクシミリ:072-976-3431