~和気清麻呂の大和川付け替え7~

2017年10月30日

付け替えの痕跡をたどる

 それでは、清麻呂の付け替え痕跡を実際にたどってみましょう。

 スタートはJR東部市場前駅です。平野からここまで北西へとまっすぐにのびてきた国道25号は、東部市場前で二俣に分かれています。どうやら、このあたりが掘削開始地点のようです。ここから西北西へと歩きます。しばらくはJR大和路線に沿ってやや低い地形がみられます。そこから緩やかに北へ湾曲しながら国道25号に重なるようにJR寺田町駅へと至ります。途中で痕跡が途絶えているところもありますが、おおむね南北よりも1~2mほど低い窪地が続いています。

 寺田町駅付近からは明瞭な痕跡が残っています。駅前から北西へ、大阪教育大学天王寺キャンパスの北側、大阪市立天王寺中学校や四天王寺庚申堂の南側の道路が、その跡です。幅10~20mぐらいで、南北方向へはかなりの登り坂です。南北との高低差は次第に高くなり、谷町筋の東では4~5m程度の高低差となります。南には長い上り階段が続き、その正面にはあべのハルカスが見えます。まさか清麻呂もこんな光景になるとは思っていなかったでしょう。

 谷町筋は高低差解消のために相当な盛土が行われたようで、現状ではそれほど高低差はみられません。谷町筋を渡ると、茶臼山の河底池は目の前です。池の深さはわかりませんが、上町台地は谷町筋付近の標高がもっとも高いため、このあたりの掘り下げがもっとも大きかったのは間違いありません。おそらく、5~6mは掘り下げられたのでしょうが、実際に平野川の水をこのルートに流すためには、10m以上の掘り下げが必要となります。

 河底池の西は大きく落ち込む海食崖です。現在も10m以上の高低差があります。奈良時代には、この下まで海が迫っていたのです。

 このように、清麻呂の付け替え痕跡は今も明瞭に残っています。23万人を動員しても、堅い上町台地を掘り下げることはできませんでした。清麻呂の見込みが甘かったと言わざるを得ないでしょう。

(文責:安村俊史)

付け替え地図
図7:付け替えの痕跡をたどる

工事始点
写真7-a:このあたりから付け替え工事が始まった。

大和路線沿いの工事跡
写真7-b:JR大和路線に沿う付け替え痕跡。

掘り下げ地南
写真7-c:掘り下げ地から南を見る。正面は大阪教育大学天王寺キャンパス。

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