~和気清麻呂の大和川付け替え6~

2017年10月25日

付け替えの痕跡

 和気清麻呂の大和川付け替え工事の痕跡は、今も残っているのでしょうか。

 以前から、天王寺の茶臼山の南側にある河底池(こそこいけ)が、その痕跡ではないかと指摘されていました。ここから東のJR寺田町駅付近にかけて不自然な窪地が続き、河堀町(かわほりちょう)や河堀口(こぼれぐち)という地名も残っています。これこそが清麻呂の付け替え工事の痕跡だと指摘されていました。一方で、茶臼山は古墳であり、河底池はその堀であるという考えもありました。茶臼山は、近年の調査によって近世に大規模な盛土が行われていることが確認され、古墳の可能性は低くなりましたが、否定されるものでもありません。おそらく、清麻呂が河底池の部分を掘った土を積み上げていた高台を利用して、近世に家康らが陣を敷く際に大規模な盛土を施したものではないでしょうか。やはり、河底池から寺田町駅への不自然な窪地を人工のものとして、清麻呂の工事の痕跡とみていいのでしょう。

 近年、大阪文化財研究所と大阪歴史博物館の共同調査によって、上町台地の古地形が明らかにされました。それによると、四天王寺の南に河底池から東南東へと上町台地を横断する人工地形が確認できます。この窪地は、推定摂津国分寺の南で北東へのびる谷につながっていたと考えられ、もともと若干の谷状地形を利用したものでしょう。

 大阪文化財研究所では、この摂津国分寺付近から北東へ延びる谷を清麻呂の付け替え工事の痕跡とみているようですが、北流する平野川から南西へ水を引き込むことは考えがたいので、これはありえないでしょう。おそらく、摂津国分寺の南から南東へのびる細い窪地が清麻呂の付け替え痕跡でしょう。

 川内眷三氏が、さまざまな古地図を使って清麻呂の付け替え痕跡を探索しています。その結果は、ほぼ正しいと思われます。それによると、JR東部市場前駅付近から北西へと掘り下げが進められたと考えられます。

【参考文献
大阪文化財研究所・大阪歴史博物館『大阪上町台地の総合的研究』2014年
川内眷三「和気清麻呂の河内川導水開削経路の復原とその検証」『四天王寺大学紀要』第52号 2011年

(文責:安村俊史)

上町台地地形図
写真6:古代の上町台地地形(『大阪上町台地の総合的研究』より)

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