~河内大橋1~

2017年5月24日

『万葉集』に詠まれた「河内大橋」

 今から1,300年ほど前、河内大橋という橋があったのをご存知でしょうか。古代の和歌を集めた『万葉集』に「河内大橋」を詠んだ歌があります。しかし、奈良時代の記録書である『続日本紀』などの史料には、「河内大橋」のことは記されていません。そのため、どこに架けられていたのか、いつ、だれが架けたのか、などくわしいことはわかりません。しかし、参考となる史料や発掘調査成果などから、ある程度のことが推測できます。ここでは、古代の「河内大橋」の姿に迫ってみたいと思います。

 まず、『万葉集』にみえる「河内大橋」の歌の紹介からはじめましょう。『万葉集』巻9の1742・1743番の歌です。

河内の大橋を独り行く娘子(おとめ)を見る歌一首 并せて短歌

しなでる 片足羽(かたしは)川(がわ)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上ゆ 紅(くれない)の 赤(あか)裳(も)裾引(すそび)き 山(やま)藍(あい)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす児(こ)は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝らむ 問はまくの 欲しき我(わぎ)妹(も)が 家の知らなく

【反歌】
大橋の 頭(つめ)に家あらば ま悲しく ひとり行く児(こ)に 宿貸さましを

河内の大橋をひとり行くおとめを見て作った歌一首と短歌

(しなでる)片足羽川の朱塗りの大橋の上を、紅染めの赤裳の裾を引き、山藍で染めた服を着て、ただひとり渡っているあの児は、(若草の)夫があるのだろうか、(橿の実の)ひとりで寝ているのだろうか。問い訪ねてみたいがあの児の家も知らないことよ

【反歌】
大橋のたもとに家があったなら、可憐にもひとりで行く児に、宿を貸してやるのに

(文責:安村俊史)

河内大橋推定地
写真:河内大橋推定地の遠景

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