~竹原井頓宮5~

2017年5月8日

青谷遺跡の調査より

 塚口義信先生が竹原井頓宮跡ではないかと考えられた青谷廃寺で、昭和59年(1984)にゴルフ練習場の建設計画があり、調査を実施することになりました。試掘調査を実施したところ、石敷きの遺構や塼(せん)を使用した溝などが発見され、保存を前提として調査範囲を拡大しました。その結果、調査地の東寄りで大規模な礎石建物とそれを回廊状に取り囲む礎石建物が確認されました。そして、その遺跡は寺院ではなく、竹原井頓宮に伴う可能性が高いと判断され、遺跡名も青谷遺跡と変更しました。

 中心となる建物1は、上面が削られて礎石は残っていませんでしたが、周囲の雨落溝がよく残っていました。基壇は東西20.9m、南北12.9mの大きさで、南辺の一部に凝灰岩の地覆石が残っていたことから、凝灰岩切石積みの基壇だったことがわかります。周囲には軒先からの雨を受ける雨落溝がめぐり、側面にはレンガのような塼(せん)を並べ、底には平らな石を敷いていました。周辺から多数の瓦が出土しています。

 建物1の北に建物2、西に建物3があり、どちらも瓦葺き礎石建物と考えられます。建物1を回廊のように囲んでいたと考えられます。どちらも外側の柱列の礎石を抜き取って掘立柱に変更しているようです。最初は礎石建物であったものが、掘立柱塀に変更されたと考えられます。掘立柱柱穴内に多数含まれていた瓦片は、礎石建物を解体したあとに掘立柱柱穴が掘られたことを物語っています。

 建物2の北には東西にのびる石列があり、築地塀の基礎ではないかと考えられます。

 出土している瓦や土器から、当初の瓦葺建物は8世紀中ごろの年代と考えられます。その後、掘立柱塀や築地塀に改築されたのは、8世紀後半と考えられます。調査結果から考えると、8世紀前半の竹原井頓宮は、調査地とは別の地にあったのではないかと考えられます。

(文責:安村俊史)

コラム竹原井5
青谷遺跡平面図

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