6-1.発掘調査された古墳

2017年5月13日 (文化財課)

平尾山古墳支群分類
平尾山古墳群 8つの支群

平野・大県支群

 古墳群の中で発掘調査によって最も様相が明らかになっているのは平野・大県支群です。古墳群北西部に位置し、42支群273基が判明しています。

平野・大県支群位置図
平野・大県支群 調査された古墳位置図

 出土した副葬品に注目すると、鉄滓など鍛冶関連の副葬品は、大規模な鉄器生産遺跡として知られる大県・大県南遺跡との関係が思い浮かびます。また、釵子(さいし)やミニチュア炊飯具形土器は渡来系集団との関わりが考えられ、釵子の出土数が多い一方、馬具や武器は少ないのが特徴的です。これらの点から被葬者として、渡来系集団もしくは渡来系集団と密接にかかわった技術者集団が含まれていると想定されます。
※釵子(さいし)…装束で髪上げの際に使用したかんざし。お雛様が頭に差している飾り。

平野大県出土品
平野・大県第20支群3号墳 出土した大型の須恵器提瓶・横瓶
(提供:八尾市立歴史民俗資料館)

第10支群1号墳

 第10支群中の最高所に位置します。6世紀中ごろに築造され、7世紀初めにかけて追葬が行われたと考えられます。右片袖式の横穴式石室で、木棺2基が納められていました。ミニチュア炊飯具形土器、金銅製釵子、銀製指輪などの渡来系資料、須恵器子持器台・短頸壺・ハソウ・平瓶、土師器台付椀、刀子、鉄釘などが見つかっています。

10-1号外観
第10支群1号墳

10-1内
第10支群1号墳 石室

10-1出土品
第10支群1号墳 出土品(撮影:阿南写真工房)

第15支群10号墳

15-10号墳
第15支群10号墳 発掘調査の様子

 墳丘の規模は不明で、6世紀後半の築造と考えられます。無袖式の横穴式石室とされていますが、竪穴系横口式石室とする見方もあります。木棺1基のみの埋葬です。須恵器短頸壺、鉄滓、鉄釘が見つかっています。

第17支群1号墳

 直径約15mの円墳で、6世紀前半の築造と考えられます。右片袖式の横穴式石室で、木棺2基が納められていました。銀製釵子、銀製耳環、須恵器蓋坏・直口壺、土師器、鉄釘、鎹(かすがい)が見つかっています。
※鎹(かすがい)…材木をつなぎとめるために打ち込む、両端の曲がった大釘。

17-1号墳入口
第17支群1号墳 石室

17-1号墳墳丘
第17支群1号墳 墳丘

17-1出土品
第17支群1号墳 出土土器 (撮影:阿南写真工房)

第20支群3号墳

 直径26mの円墳でやや大型の古墳です。両袖式の横穴式石室で、玄室に石棺、羨道に木棺が納められていたようです。古墳群唯一の単龍環頭大刀柄頭のほか、精緻なつくりの須恵器坏と蓋、須恵器直口壺が壷蓋とセットで大量に出土している点や平尾山古墳群では数少ない馬具の轡(くつわ)がみられる点が特徴です。
※轡(くつわ)…手綱(たづな)につなぐ輪が両端にあり、馬にかませる金具。これで馬を制御する。

平野・大県20-3
第20支群3号墳

平野・大県20-3石室
第20支群3号墳 石室

単龍環頭大刀柄頭
単龍環頭大刀柄頭

 ほかにも、ミニチュア炊飯具形土器、飾金具、釵子、ガラス小玉、須恵器・ハソウ・脚付壷・高坏、土師器高坏、鉄鏃、刀子、鉄釘、鎹が出土しています。

第27支群1号墳

27-1号墳その1
第27支群1号墳

27-1号墳石室奥
第27支群1号墳 石室奥

 墳丘の規模は不明です。6世紀後半の右片袖式の横穴式石室で、石棺1基が納められていました。金銅製釵子、水晶製切子玉、ガラス小玉などが見つかっています。

第27支群2号墳

27-2号墳その1
第27支群2号墳 石室

第27-2号墳その2
第27支群2号墳

 墳丘の規模は不明です。右片袖式の横穴式石室で、木棺3基が納められていました。須恵器蓋坏・短頸壺、土師器甕、銀製耳環、ガラス玉、鉄釘が見つかっています。

安堂支群

第5支群16号墳

 直径21mの円墳で、7世紀初めの築造と考えられます。両袖式の横穴式石室で、家形石棺が納められていたようです。須恵器坏身、土師器坏・甕などが見つかっています。

安堂5‐16石室
第5支群16号墳 石室

安堂5‐16出土品
第5支群16号墳 出土土器

第6支群3号墳

 南斜面の地山を削って築かれた、直径約23mと推定される円墳です。墳丘のほとんどが削平され、周溝の一部が残っていました。切石による両袖式の横穴式石室で、玄室床面には石が敷かれていました。また、掘った穴を版築によって埋め戻してから、石室の周囲に自然石を充填して排水施設をつくっています。こうした構造はめずらしく、他に例を見ない古墳として注目されます。
※版築…土を強く突き固めて、土壁や建築の基礎部分を徐々に高く構築する方法。

安堂6-3石室
第6支群3号墳 石室

玄室床面の敷石
 玄室中央部に凝灰岩の切石による敷石が確認されました。敷石全体の規模は、東西長1.85m、南北長3.40mで、壁体との間には河原石が充填されています。また敷石の各接合面は、調整痕が識別できないほど丁寧に調整されていました。

安堂敷石
第6支群3号墳 玄室の敷石

出土遺物
 須恵器の蓋、杯、長頸壺、甕、土師器の蓋、杯、高杯、丸底壷、近世の椀などです。遺物のほとんどが石室内礫層から出土しました。時期は近世の椀を除き、7世紀後半~8世紀初頭のものです。

横穴式石室の移設
 柏原市内において、切石による横穴式石室は初めてであったこと、玄室床面の敷石や石室周囲の排水溝は他に例を見ないことから、現状保存を要望していました。しかし諸事情で断念せざるを得ず、石室を東方の緑地内へ移設することになりました。

 1986年4月、クレーンで石材を吊り上げ運搬し、移設先で再び石材を設置する作業が行われました。現代においても再現は困難な作業であり、古墳を築造した当時の人々の技術と労力に驚嘆させられます。

 移設の際に7世紀中ごろの須恵器が出土しており、この須恵器が古墳の築造年代を示していると考えられます。

安堂移設先
移設された第6支群3号墳

安堂6-3移設先地図
移設先地図

雁多尾畑支群

第6支群13号墳

 標高300メートルを越える山中に位置する直径11mの円墳で、6世紀末の築造と考えられます。両袖式の横穴式石室で、木棺が納められていたようです。須恵器高坏・壺、釵子が見つかっています。

雁多尾畑6‐13石室
第6支群13号墳 石室

雁多尾畑6‐13土器
第6支群13号墳 出土土器

第11支群6号墳

 第11支群6号墳は墳丘が流失して玄室の天井石が露出し、開口していました。天井石を支える側壁の石が重みで割れてきていたことや、この古墳が旧青少年教育キャンプ場内に位置することもあり、古墳保護と市民への公開を図って調査が実施されました。

 墳丘の規模は直径15mほどと推定されています。石室は西側に袖を持つ片袖で、羨道部入口から外に溝が検出されました。開口していたことから、遺物はないと考えられていましたが、鉄製棺釘、須恵器の高杯・台付き長頚壷と土師器の把手付き杯、短頚壷、金環各1点が出土しています。

雁多尾畑11-6石室正面
第11支群6号墳 石室正面

雁多尾畑11-6石室
第11支群6号墳 石室

 

太平寺支群

 太平寺・安堂の東方では、5世紀末から6世紀末にかけての古墳が多数見つかっています。これまでに42基の古墳が確認されており、第1~6支群の小支群に分けられています。

太平寺支群図
太平寺支群

第4支群

  太平寺支群第4支群は、旧称天冠山1~3号墳・天冠山東1~3号墳にあたります。1983年の調査で、6世紀後半の無袖式横穴式石室が発見され、第4支群6号墳とされています。(旧称:天冠山東1号墳)

4-6トレンチ図

平面図

4-6石室
奥壁から見た石室(白点線範囲は木炭層の推定範囲)

床面の木炭敷

 石室の床面に、中央部を高くする形で山土を盛り、その上に長方形状に木炭粉が敷きつめられていました。その後、粘土を置いて石室床面を造ったようです。木炭層には多量の鉄滓が含まれていました。それらは長径2~3cm程の小さなもので、小鍛治滓(小鉄滓)の可能性が強いということです。
※小鍛冶滓…金属を鍛える鍛練作業から出た不純物をいう。

木炭敷1
木炭層中の鉄滓

 このような床面に木炭が敷かれる例は、太平寺3号墳にもみられ、こちらには鉄滓などは含まれていなかったようです。木炭の目的としては石室内の排水、除湿の機能を図ったものと思われます。

木炭層
石室床面下の木炭層

古墳の被葬者

 東山の山麓部に広がる大県・大県南遺跡からは、5世紀末~6世紀の遺物とともに、多量の鉄滓、鞴羽口など鉄、鉄製品生産に関する遺物が出土しています。そこでは、鉄生産に従事した集団によって集落が営まれていたことも推測でき、本古墳の石室内除湿施設に鉄滓が含まれていたことを踏まえると、古墳の被葬者や築造者は山麓部の鉄製品生産集団に属す人物の可能性も想定されます。

※鞴(ふいご)…人工的に風を送って炉の温度を上げる道具。鞴羽口は、炉への送風管にあたる。

第5支群

 第5支群は、1982年に柏原市立堅下南中学校建設に伴なう調査により、5基の古墳が見つかりました。

太平寺第5支群
太平寺第5支群図

 1号墳は前方後円墳として復元されていますが、前方部前面とする溝状遺構が確認されているのみで、復元には問題も残しています。なお、この溝状遺構からは、円筒埴輪、家形埴輪、人物埴輪、馬形埴輪など多数の埴輪が出土しています。

太平寺馬埴輪
出土した馬の埴輪

 3~5号墳は、いずれも横穴式石室の直径15m前後の円墳ですが、本格的な調査を実施されておらず、詳細は不明です。なお、1~5号墳は現在、堅下南中学校の緑地として残されています。

第5支群2号墳
 2号墳は標高85mの位置にあり、墳丘を画する周溝等が確認されていませんが、周辺の地形や横穴式石室の位置、規模などから、直径20m前後の円墳と復元されています。

横穴式石室
 墳丘は削平によりすべて失われ、横穴式石室の左側壁(東壁)を残すのみでした。

太平寺石室左壁
第5支群2号墳 残った石室左側壁

 玄室床面には薄く小礫が敷かれており、その範囲から、玄室の長さは約330cm、幅は200cmとわかります。また左側壁の石材が玄室の範囲を超えてさらに南に続いている部分は、羨道と考えられます。羨道の幅は不明ですが、長さは150cm以上と推定されます。

 以上から横穴式石室の形態は右片袖式か無袖式に絞られ、さらに石室の時期を考慮すると、右片袖式で間違いないようです。

太平寺石室
第5支群2号墳 石室

遺物出土状況
 石室内の床面まで撹乱を受けていたため、どれも原位置を留めておらず、持ち出されたものもあったと考えられます。出土した遺物は、鉄刀3本以上、鉄矛1本、鉄斧1点、鉄鎹2点、鉄釘3本以上と土師器の小片です。

太平寺鉄刀
第5支群2号墳 出土した鉄刀

2号墳の位置づけ
 2号墳の年代について、時期を示す資料が少なく断定できませんが、玄室の規模や石室の構造は高井田山古墳とよく似ており、そこから5世紀後半の可能性が考えられます。ただし、2号墳は、高井田山古墳のように埴輪が使われておらず、朝鮮半島との関わりを示す遺物もないため、高井田山古墳よりもやや新しい5世紀末頃になるのではないでしょうか。

 2号墳は小規模ですが、平尾山古墳群のなかで武器が副葬された数少ない古墳であり、高井田山古墳に続く時期とすれば、平尾山古墳群の始まりを示す貴重な古墳といえるでしょう。

お問い合わせ

文化財課
582-0015 柏原市高井田1598-1(歴史資料館内)
電話:072-976-3430
ファクシミリ:072-976-3431