柏原船8

2017年3月14日

寺田家と柏原船

 寺田家も今町にあり、柏原船の営業に参加していました。建物は奈良街道の東側にあり、主屋、離れ、内蔵、土蔵、米蔵、南門、東門の7棟の建物が国の登録文化財になっています。内蔵の外板には、柏原船の船板が使用されています。

 寺田家は「北条屋」の屋号で肥料商などの商売を営んでいました。河内国志紀郡北条村(現在の藤井寺市北條町)から17世紀中ごろに移り住んだようですが、くわしいことはわかっていません。

 正徳6年(1716)に2艘の船株を持つようになって柏原船の営業に参加することになったようです。その後、寛政元年(1789)には9艘、弘化元年(1844)以降明治まで14艘の船持であったことがわかっています。船株は激しく売買されましたが、北条屋は手に入れた船株をすべて明治まで所有していたようです。大文字屋の三田家とともに、平野の船会所の運営にもあたり、末吉家と寺田・三田家が盛んに交流していたことがわかる文書もあり、三田家とともに安定した船持だったことがわかります。

 寺田家は代々七郎兵衛を名乗り、大和川付け替え後に開かれた市村新田の経営にも初めから関わっていました。市村新田には当番制の庄屋がおかれましたが、寺田家も庄屋を勤め、のちには寺田家のみが庄屋を勤めるようになりました。

 柏原船に関する史料も多数所蔵されており、元禄9年(1696)の『柏原船舟数水帳』には、元禄9年以降明治までの柏原船70艘すべての船持が記載されています。船持に変更があると、その上に附箋を貼って変更しているため、船持の変遷を知る貴重な史料となっています。それ以外にも、柏原船に関するさまざまな取り決めを記した『定』(天和3年・1683)や、経営状況を知ることができる『勘定目録』『船床差引覚』などがあります。寺田家文書はかなり整理が進んでおり、『寺田家文書目録I』を刊行していますが、まだ調査は終わっておりません。

(文責:安村俊史)
寺田家
:寺田家(柏原市今町、国登録文化財)

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