柏原船3

2017年1月25日

柏原船運航開始

 柏原船は、株式組織で運営されました。船仲間を組織し、船の建造などの準備を進めたうえで、寛永13年(1636)の秋から営業を開始しました。船持(株主)が15人、船数が40艘の体制でした。船持は実際に特定の船を所有するのではなく、船数分の株を所有し、実際には船乗りが運航していました。この株を売買することによって、船持はどんどん変わっていきました。

 営業当初の船持には、柏原村だけでなく、近隣の村々からの参加もありました。柏原村からは小山忠右衛門、松本庄右衛門、松本清兵衛の3人で、清兵衛は8艘もの船株を所有していました。松本家には、柏原船関係の史料が多数残されていたようで、『柏原市史』にも紹介されていますが、その後、これらの史料の所在が不明となっており、現在は確認することができません。また、柏原船の準備に参加した庄屋の一人である柏元家が船持に参加していないのが不思議に思われます。柏元家は各地で土地を所有するなど富裕な庄屋であったのですが、その後も柏原船の営業には参加していません。柏元家が、なぜ柏原船の営業に参加しなかったのか、その理由はよくわかりません。

 柏原村以外には、大井村、中川村、太田村、中道村、木本村、北木本村の有力農民らと、大坂から2人、平野庄からも1人の参加がありました。大井村の真野九右衛門、治右衛門は、それぞれ8艘という多数の船株を持っていました。

 『柏原町史』によると、船持たちは、古町(当時は「新町」と呼ばれていました)の西約1丁(109m)に新しい町を開き、そこに店を構えたということです。小字「古屋敷」の地ということなので、現在の古町1丁目6~7番の地、柏原警察の北側付近にあたります。ここで、道の両側に店を並べて営業を始めたようです。

 紆余曲折を経て開始された柏原船の営業ですが、必ずしも順調には進まなかったようです。そして、大坂から商人が参加するようになるのですが、その経緯は次回ということにしましょう。

(文責:安村俊史)

和漢舩用集の柏原船
:柏原船(『和漢舩用集』の図に彩色)

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