柏原船2

2017年1月16日 (文化財課)

柏原船の運航へ

 柏原村が二度の洪水に襲われたころ、村は幕府領で、平野の末吉孫左衛門長方が代官を勤めていました。孫左衛門は、柏原村を自力で復興させることは困難であると考え、平野川筋に船を通し、その営業利益によって村を復興させようと考えました。

 孫左衛門は、元和6年(1620)の洪水直後からこの計画を立て、幕府に上申していました。しかし、幕府はこの計画を認めながらも、なかなか運航許可が出せないまま13年後の大洪水が起こってしまいました。これによって、幕府からも早く準備を進めるように指示があり、柏原村の庄屋らが準備にとりかかりました。了意川の浚渫をしたり、実際に川船で積荷を運んだりして、安全に運航できることを確認したうえで、寛永13年(1636)、大洪水から3年後に運航を始めることになりました。

 了意川とは、柏原村の東寄りを北へ流れている川です。かつて久宝寺村の了意が船を通すために整備をしたために了意川と呼ばれるようになったということですが、詳しいことはわかっていません。この了意川(了意井路ともいう)を下ると、平野付近から下流は平野川と呼ばれ、大坂の京橋で淀川に合流していました。旧大和川水系の一つですが、それほど川幅はなく、水量も余り多くない川です。大和川付け替え後は、新大和川の水を青地樋から取水しています。

 流域の村々がこの川から田畑の用水を取水するため、船の運航に支障を来たすこともありました。取水のため、樋や水車を設置しているところがありました。とりわけ4月から8月ごろは、用水取水のために川を堰きとめることが多く、船の運航ができないことも多かったようです。そこで、簡単に水量を調節できる戸関樋を設けるなどの工夫がなされていました。それでも、近隣の百姓とはもめることが多かったようです。

(文責:安村俊史)

築留・青地樋用水組合村々絵図
図 築留・青地樋用水組合村々絵図(右側の川が平野川、小山家文書)

【特集展示のお知らせ】
平成29年1月4日(水)から4月23日(日)まで、特集展示「柏原船」を開催しています。

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