堤を築く10

2016年11月7日

大和川のつけかえ工事

 堤防の発掘調査成果から、大和川のつけかえ工事の実態について考えてきました。つけかえ工事は、宝永元年(1704)の2月から10月までの8か月、実質は7か月半で完工しています。信じられないようなスピード工事です。

 工期を短縮できた理由は、大きくふたつ考えられます。ひとつは幕府と各藩が区間を分担し、同時に着工したことです。現在の工区割りという方法と同じです。これならば、各藩が競い合うことにもなり、工期の短縮が図れます。早く終われば経費も安くすみます。

 もうひとつは、綿密な測量と設計によって、掘削土量と堤防の盛土量をほぼ一致させたことです。設計段啓での差は1割程度です。これによって無駄な掘削や残土の処分、搬入などを最小限におさえることができました。その結果、新大和川は基本的に川底を掘らず、両岸に堤防を築くことによって造られたのです。27年度の企画展のテーマでもあったのですが、当時の人の技術や計算力には驚くばかりです。

 そして堤防断面の発掘調査は、工事を急いでいたようすを十分に物語ってくれました。もとの作物や耕作土はそのままで土を積み上げ、土はできるだけ近くの掘削土を利用したため、場所によっては砂ばかり積み上げるようなところもありました。また、土を叩き締めることもせずに積み上げて、最後だけ形を整えて芝を張って仕上げています。堤防の強度は二の次で、最後の形さえ整っていればそれでいいと工期を急いでいたことがよくわかります。

 その後の堤防のかさ上げも、周辺の洪水に伴う土砂の処分地としての利用という面が大きかったようです。粗い砂が1メートル以上も積み上げられています。洪水土砂の処分と堤防のかさ上げという一石二鳥をねらったようです。

 今後、堤防の調査を行なうことができれば、また新しい成果があがることでしょう。文献史料が限られているため、発掘調査に期待するところが大きくなります。それにしても、現在の大和川堤防は、大半がこんな弱い堤防でできています。「これでだいじょうぶなのかな」。素朴な疑問です。

(文責:安村俊史)

大和川の風景

写真:大和川の風景

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