堤を築く8

2016年10月25日

土を積む

 小山平塚遺跡の調査では、堤防の盛土に良質の粘土が使用されていました。しかし、船橋遺跡や長原遺跡では、砂質土が積み上げられていました。「川違新川普請大積り」(コラム2)などから、堤防の盛土には工事に伴う掘削土が使用され、両者がほぼ一致するように計画されていたことがわかっています。盛土量のほうが多ければどこかからその土を持ち込まなければなりません。逆に掘削土のほうが多ければ、残土を処分しなければなりません。両者の土量がほぼ一致するという無駄のない効率的な工法であり、8か月という短期間で完工した大きな理由のひとつです。

 一方で、このような工法であれば、掘削土が砂であっても砂をそのまま堤防に積み上げることになります。上町台地や瓜破台地を掘削した土は良質の粘土が中心となるでしょう。しかし、左岸堤防に沿って掘られた落堀川は、台地だけでなく氾濫原や旧河川をも横断して掘られていますので、当然さまざまな土砂が混ざることになります。

 船橋遺跡周辺は、大和川・石川の氾濫原だったため、砂などが含まれているのは当然です。砂で築かれた堤防は、一度水が浸入すると一挙に崩壊する危険性を伴うため、堤防の盛土としては避けるべきものなのです。しかし、堤防を築く際に、そんなことは考慮されていなかったようです。決められた大きさの堤防を築けばそれでよかったのです。おそらく、左岸堤防は、場所によって堤防の強度がかなり異なっているのではないでしょうか。

 また、4地点とも積み上げ途中で叩き締めが行われていないことがわかっています。右岸の2地点は、ほぼ水平に積み上げられていますが、左岸では適当に積み上げられています。本来ならば、積み上げ途中で叩き締めて堤防の教化を図るべきですが、一切なされていません。叩き締めると作業量が多くなり、盛土も余分に必要となります。叩き締めを行わず、できるだけ早く設計の大きさに完成させることが求められていたのでしょう。堤防の強度よりも工期の短縮のための工事だったことがよくわかりました。

(文責:安村俊史)

撤去工事

写真:2011年1月の藤井寺市大井の井手口南樋の撤去工事。つけかえ当時の堤防は確認できなかった。

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