松岳山古墳

2016年10月23日

 松岳山古墳(国史跡)は墳丘長130mの前方後円墳です。板状の石を積み上げて築かれた墳丘、大きな石を組み合わせた石棺とその前後に立つ孔の開いた立石、大きな楕円筒埴輪など、特異な古墳である松岳山古墳は、その西にある玉手山古墳群とともに、古くからたいへん注目を集めてきました。

 現在松岳山古墳は、前方部の一部を除いて墳丘は良好に残っており、後円部には墳頂に石棺が露出しており、見学することができます。(国分神社社務所で了解を得てから見学してください。)

構造

 墳丘の調査は1985年に前方部前面、1986年には墳丘南側の後円部・くびれ部・前方部で実施されています。

 岸本直文氏は、墳丘裾をもう少し大きく考え、墳丘長約150mと復元しています。

松岳山古墳測量図

松岳山古墳の墳丘と1986年の調査地

松岳山古墳復元案
松岳山古墳墳丘復元案
(出典:岸本直文 「玉手山古墳群・松岳山古墳と河内政権論」『百舌鳥・古市古墳群出現前夜』2013)

段築
・前方部は2段、後円部は3段もしくは4段
・墳丘1~2段目は玄武岩の板状の石を垂直に積み上げ、円礫を斜めに葺いています。
 こうした板石を使用した段築は他に例をみないものです。
※大きさが2mm以上の岩石の破片を礫といい、川原の玉石のような丸いものが円礫。

前方部第2段
前方部第2段

墳丘周囲の板石積み
・南側の墳丘周囲では、板石を斜めに突き刺すように積まれています。
・前方部前面では板石を垂直に積み上げて墳裾にテラス面を設けています。このテラス面に楕円筒埴輪が、立て並べられていました。
※テラス…河岸段丘、棚田、段々畑など、階段状の地形を人工・天然を問わずテラスといい、古墳においても使われる。

楕円筒埴輪出土
楕円筒埴輪出土状況(左)とくびれ部(右)
前方部前面第1段の垂直の板石積みと墳裾、それを画する板石積みのようす。

 これら墳丘周囲の板石積みも墳丘の一部とすると、東側のヌク谷北塚・南塚古墳は松岳山古墳の墳丘内に位置することになってしまいます。また、墳丘の北側は崖となっているため、同じような石積みがあったとは考えがたく、おそらく墳丘南側にのみ存在するのでしょう。

埋葬施設

組合式石棺
 後円部墳頂に南北を軸とする組合式の石棺が露出し、それを覆う竪穴式石室が確認されています。

  この組合式石棺は、底石と4枚の側石、そして蓋石の計6枚の板状の石材によって構成されます。古墳時代中期の大王墓などで使用される長持形(ながもちがた)石棺と同様なものです。ただ南北の小口石がかなり内側に位置し、その南北に小室状の空間が作られています。また、蓋石が扁平で縄掛突起を伴わないなど典型的な長持形石棺の特徴とは異なる点もあります。このような相違点もみられますが、長持形石棺の初期のものと位置づけられるでしょう。

  石棺の底石と蓋石は黒雲母花崗岩(くろうんもかこうがん)を使用し、底石には頭と胴体を置く部分に浅い彫り込みがみられます。側石4枚は香川県産と推定される柘榴石角閃石安山岩(ざくろいし かくせんせき あんざんがん)、もしくは凝灰岩が使われ、長側石2枚の南北には縄掛突起が造り出されています。

 周囲には竪穴式石室を構築していた玄武岩の板石が大量に散乱しています。現在の状況からすると、墓坑内に石室が構築されたとは考えられず、墳丘上に板石のみを積み上げた積石塚のような施設が築かれていたと推定されます。

石棺とその周辺
後円部墳頂の石棺とその周辺
(出典:大阪府教育委員会『河内松岳山古墳の調査』1957)

組合式石棺
後円部墳頂の石棺と立石(北東から)

謎の立石
 石棺の南北には大きな板状の立石があり、それぞれの立石には、小さな孔があけられています。立石は、石室構築時から立てられていたようです。

  • 中国の墓碑を模倣したもの
  • 石棺を降ろす際に軸となる木材を通したもの
  • 立石が石室の南北壁面となり孔は石室内をのぞくためのもの
  • 船の形を模倣したもの
  • 天体観測施設

などとする説もありますが、その用途は確定できません。

 佐紀陵山古墳(日葉酢姫陵)によく似た立石がみられ、石室南北の壁面だったとされていますが、松岳山古墳で同様に石室を想定すると、現状よりも2m以上も高くなり、信じがたいものとなってしまいます。この2枚の立石は今も謎のままです。

 板石は石室材や墳丘石材とともにカンラン石玄武岩であり、松岳山古墳の500m東方にある芝山で産出する芝山火山岩です。
※カンラン石…オリーブ色(濃緑色)の鉱石。玄武岩などに多く含まれる。

南立石北立石
南立石(左)と北立石(右)

  高さ 円孔 その他
南の立石 2.3m 1.4m 1個  
北の立石 1.8m 1.4m 2個 貫通しない円形のくぼみ2箇所

その他の埋葬施設
墳丘裾のくびれ部に竪穴式小石室
墳丘第1段テラスに箱形石棺
が確認されています。おそらくほかにも小規模な埋葬施設が存在すると推定されます。

竪穴式小石室画像
竪穴式小石室
墳丘裾のテラス面くびれ部に竪穴式の小石室が築かれていたが、遺物は全く出土していない。

出土品の来歴

 松岳山古墳からはさまざまな遺物の出土が知られていますが、所在不明のものも少なくありません。

1877年

 当時、堺 県令であった税所篤によって石棺が発掘されています。この件について、梅原末治氏によって紹介された地元国分村・堅山新七氏の記録によると、発掘によって 石棺内外から銅鏡などが出土したといいます。この銅鏡については、神獣鏡の可能性が指摘されています。これらの出土品の所在は確認できません。また、この発掘以前に、既に大規模な盗掘がなされていたようです。
※税所篤(さいしょ あつし)…西日本各地の県知事、県令を歴任した。

(梅原末治 「河内国分松岳山船氏墳墓の調査報告」『歴史地理』第28巻第6号 1916)

1915年

 瀧野政治郎氏が後円部墳頂北東から石杵状の石製品を採集し、国分小学校に保管されていたようです。現在は所在不明です。

(梅原末治 「河内国分松岳山船氏墳墓の調査報告」『歴史地理』 第28巻 第6号 1916)

1955年

 京都大学の小林行雄氏を中心に大阪府教育委員会の事業として、埋葬施設の調査が実施されました。その際の出土品として、硬玉製勾玉、碧玉製管玉、碧玉製丸玉、ガラス小玉、鍬形石片、石釧片、銅鏡片、鉄刀・鉄剣(槍)片多数、鉄鏃片、銅鏃、土師器、埴輪があります。

(小林行雄 『河内松岳山古墳の調査』大阪府教育委員会 1957)

 これらの多くは石棺の周辺から、刀剣類は一括して石棺南小室にありましたが、1877年に再埋納したもので、本来の出土位置とは限らないようです。これらの大半が京都大学に収蔵されています。

主な出土品

市指定文化財の出土品(松岳山古墳出土品)

松岳山古墳の出土品の中で、土師器丸底壷、二重口縁壺、楕円筒埴輪が柏原市指定文化財となっています。

土師器壺
1985年度の調査の際、前方部前面裾から球形の体部から短い口縁が外反する丸底壷が見つかりました。

土師器壺
土師器壺(柏原市指定文化財)

1986年度の調査では、くびれ部墳裾から小型の二重口縁壺が出土しています。小型で、やや肩の張った体部から口縁が外反し、中央に稜線がめぐる二重口縁となります。ほぼ完形のもの1点と、同様な形態の口縁の破片1点が出土しています。

土師器壺2
土師器壺(柏原市指定文化財)

楕円筒埴輪
前方部前面の墳裾で樹立状態のものを2点確認、後円部南側の墳丘外でも破片が採集されています。おそらく、墳裾には楕円筒埴輪がめぐらされていたのでしょう。

楕円筒埴輪1楕円筒埴輪2
楕円筒埴輪(柏原市指定文化財)

長径70cm、短径40cm前後で、高さのわかるものは143cmと158cmです。体部には突帯がめぐり、短い鰭(ひれ)がついています。口縁は強く外反 し、前面には体部と同様の鰭を伴います。透孔は巴形、三角形、逆三角形、横長長方形です。1点の楕円筒埴輪には、最上段の前面にのみ巴形の透孔が2個みられ、あたかも人の顔を連想させます。体部には1段おきに三角形、逆三角形の透孔が穿たれています。

その他石製品・土器

玉類
匂玉は長さ4.1cmの緑色の硬玉製です。頭部は丁字頭で、背が稜をなし、腹部に4条の線刻がみられます。丸玉とされるものは淡青色で、縦方向に溝が刻まれる小片です。溝内には赤色顔料が付着しています。

碧玉製の管玉は、長さ0.8~3.1cmまで大小さまざまです。ガラス小玉は直径3~5mmで淡青色です。

石釧は27個以上あったようです。表・裏ともに同様な形状のものや、垂直面のみられないもの、垂直面に凹面のみられるもの、刻線をほどこしたものなどいくつかの形態がみられます。

銅鏃
柳葉形箆被式(やないばがたのかつぎしき)の大型のものです。長さ10cm、幅2.5cmを測り、身の断面は中心部が平らになり、中央に稜線がみられます。長岡京市長法寺南原古墳出土品に類例が知られています。

土師器
細頸壺と円筒形土器があります。細頸壺は報告書で独利形と表現される平底のもので、口縁の形態は不明です。円筒形土器は直径11cm、高さ13.2cmの円筒状の土器です。どちらも外面を丁寧な縦方向のヘラみがきで仕上げ、壷の内面はシボリ目が顕著に残ります。赤褐色、硬質で類例をみない土師器です。土師器はいずれも墳頂周辺の積石の間などから出土しているようです。

その他の埴輪

 埴輪は、楕円筒埴輪以外に円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪が出土しています。

円筒埴輪
円筒埴輪について、樹立されたものは確認できていません。しかし、かつて後円部墳頂に樹立されていた記録があり、第2段テラスと推定される後円部東斜面から、大形の円筒埴輪底部片を採集しているので、各テラスと墳頂には円筒埴輪が樹立されていたと考えられます。

全形はわかりませんが、直径は35~50cmで、断面が方形となるしっかりした突帯を伴うものが多く、口縁は大きく外へ開きます。透孔は方形、三角形、逆三角形、横長長方形、円形がみられます。体部の調整は、内外面ともにハケメをナデ消しているものが多くみられます。突帯を貼り付ける前に、目印として方形の刺突を行っている個体がみられます。

朝顔形埴輪
肩部がやや張り、口縁は外方へ開きます。

朝顔形埴輪画像
朝顔形埴輪

形象埴輪
蓋(きぬがさ)形埴輪、家形埴輪、ほかに、断面がカーブを描く草摺(くさずり)を連想させる形象埴輪や線刻を有する円筒埴輪なども見られます。蓋形埴輪で間違いないならば、最古の蓋形埴輪と考えられます。
※草摺…甲冑の胴の裾に垂れ,下半身を防御する部分の名称。裾が草をこするところからこの名があるといわれる。

蓋形埴輪家形埴輪
蓋形埴輪(左)と家形埴輪(右)

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