船氏王後墓誌

2016年10月23日

 船氏王後首の経歴などを記録した銅製の墓誌です。江戸時代に松岳山の丘陵から出土したという伝承や記述がありますが、出土地点や、いつ発見されたのかは不明です。

 この墓誌は現在の羽曳野市にある西琳寺に長く所蔵されており、一時税所篤の所蔵にもなっていました。現在は東京の財団法人三井文庫が所蔵し、国宝(銅製船氏王後墓誌)に指定されています。

 江戸時代に藤貞幹が『好古小録』に紹介するなど古くからよく知られていた墓誌です。

大きさ

 墓誌は長方形の短冊形で、表面にはかすかに鍍金が残っているといいます。長さ29.7cm、幅6.9cm、厚さ0.1cm。表裏に各4行、表面に86文字、裏面に76文字の計162文字の銘文が刻まれています。

内容

(表)

惟船氏故 王後首者是船氏中租 王智仁首児 那沛故
首之子也生於乎婆陁宮治天下 天皇之世奉仕於等由
羅宮 治天下 天皇之朝至於阿須迦宮治天下 天皇之
朝 天皇照見知其才異仕有功勲 勅賜官位大仁品為第

(裏)

三殞亡於阿須迦 天皇之末歳次辛丑十二月三日庚寅故
戊辰年十二月殯葬於松岳山上共婦 安理故能刀自
同墓其大兄刀羅古首之墓並作墓也即為安保万
代之霊其牢固永劫之寶地也

 「船氏王後首は王智仁首の孫、那沛故首の子です。乎裟陁宮治天下天皇(敏達天皇)の時に生まれ、等由羅宮治天下天皇(推古天皇)に仕え、阿須迦宮治天下 天皇(舒明天皇)の時にはすぐれた才能を認められ、冠位十二階の第三等にあたる「大仁」の位を賜りました。そして辛丑年(641)12月3日に没しました。その後、戊辰年(668)12月に松岳山上に埋葬しました。夫人安理故能刀自と共に同じ墓に埋葬し、墓は兄の刀羅古首の墓と並んで作りました。この地 は永遠に神聖なる霊域であり、侵してはなりません。」

松岳山古墳と船氏一族

 この墓誌が造られた年代は668年と考えられ、わが国最古の墓誌となります。しかし、文体や用字などから、製作年代を7世紀末葉まで下げる説もあります。

 王後が亡くなってから27年後に夫人が亡くなり、ともに埋葬するため、おそらく改葬されたのでしょう。そして7世紀中頃と考えると、火葬ではなく土葬と思われます。668年ならば、横穴式石室、もしくは竪穴系の小石室でしょう。また、兄の墓がすでに造られていたということは、船氏一族の墓域が設定されていたと考えることもできます。

 しかし、7世紀中葉に当該地が船氏の墓域であったとして、松岳山古墳群を船氏と結びつけるのは無謀でしょう。その間約300年です。ただ、松岳山古墳の被葬者を船氏の祖先と意識して、この地に墓域を設定した可能性は考えられるかもしれません。

 また芝山周辺に古墳時代終末期らしき小石室墳があったようですが、松岳山古墳周辺では終末期古墳や火葬墓は確認されていません。よって、船氏一族の古墳についてはまったく不明です。船氏の墓域は、史料によると野中寺の南にも存在したらしく、その墓域と松岳山との関係も明らかにできません。複数の墓域があったのか、時期によって変遷したのかもしれません。これまでの史料からは、この墓誌が本当に松岳山古墳周辺から出土したのかどうかさえ確認できないのです。

 税所篤の松岳山古墳、ヌク谷南塚・東ノ大塚古墳の発掘も、この墓誌の存在が契機となったようです。さまざまな問題点をかかえつつも、松岳山古墳群を語るときに、避けて通ることのできない資料でもあります。

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