玉手山6号墳

2016年10月16日

 5号墳の南にあった前方後円墳です。もともと後円部墳頂にらせん状の滑り台がありました。この古墳も1960年に関西大学が調査し、その後、造成により現存しません。当時の測量結果から、墳丘長69mとされています。

 後円部中央の墳丘主軸上に竪穴式石室が、その東側にもやや小さい竪穴式石室が存在しました。

6号墳測量図
玉手山6号墳測量図

埋葬施設

後円部中央の竪穴式石室

 中央竪穴式石室は調査前に滑り台の基礎などでかなり破壊され、盗掘も受けていたようです。石室の長さは4.6m、幅は1m前後とするも、異なる記録もあり、実際のところは確認できません。墓坑底の周囲には浅い溝がめぐり、中央部はなめらかにふくらんでいたたようです。墓坑底全面に礫を敷き、その上に粘土棺床とやや離れて石室の壁体が積み上げられています。

副葬品【関西大学所蔵】

棺内
画文帯神獣鏡2面、石釧、硬玉製管玉、碧玉製管玉、ガラス小玉

棺外(粘土棺床と石室壁体との間)
鉄刀、鉄剣、刀子、鉄鏃、銅鏃、鉄斧、革綴冑小札(こざね)など

東側の竪穴式石室

 壁体の一部が内側に崩れていたというものの未盗掘で、天井石の被覆粘土までほぼ完全な竪穴式石室が調査されています。

 石室の長さは4.4m。幅は北端で0.88m、南端で0.74m。墓坑底には低い基台状の施設があり、その基台も覆って礫が敷き詰められていました。礫敷きの上面には赤色顔料が散布され、その上に粘土棺床が設けられていました。

 また、粘土棺床とやや離れて、粘土棺床の下面の位置から石室壁体が積み上げられていました。天井石は8枚が完存し、天井石を多数の板石で覆った上、さらに粘土で覆われていたようです。

 この東竪穴式石室は、良好に遺存していたため、関係者の努力によって調査後移設復元されました。現在、市立玉手山公園内の7号墳後円部南側に復元されており、復元状況に若干の問題はあるものの、当時としては画期的でした。

6号墳復元
7号墳南側に復元された6号墳の竪穴式石室(写真手前)

副葬品【関西大学所蔵】

頭部付近
北向きと推定される被葬者の頭部付近から内行花文鏡

頭部からやや南
硬玉製勾玉、碧玉製管玉が数点

腰付近
鉄剣が1本

棺外(石室壁体との間)
鉄刀、刀子、鉄鏃、長さ20cmの大形板状鉄斧、鉄斧、錐、ヤリガンナ、タガネなどの鉄製工具類

 中央竪穴式石室と東竪穴式石室の前後関係は、調査では明らかにできなかったようですが、位置関係から中央竪穴式石室が先行すると考えていいようです。東竪穴式石室は、その規模から副次的なものとして築かれたと思われます。

 なお、前方部からは埋葬施設は確認されていません。

5号墳と6号墳の築造順

 5号墳と6号墳が後円部を接するように築かれていることから、両古墳は築造時期が近いと予想できます。そのうえで、古墳群最古の9号墳と6号墳が石室の構造において共通点が多く、また6号墳にない粘土槨や前方部への埋葬が5号墳にはみられることなどから、9号墳にやや遅れて6号墳が、その後5号墳が築かれたと考えられます。

5・6号墳測量図
玉手山5・6号墳地形図

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