玉手山3号墳

2016年10月16日 (文化財課)

 柏原市老人福祉センター「やすらぎの園」の南にある前方後円墳で、勝負山古墳ともいいます。江戸時代には「松山」と呼ばれ、後円部墳頂に1本の大きな松があったようです。また、「勝松山」「勝負山」とも呼ばれていましたが、これは大坂夏の陣の際に徳川方が後藤又兵衛の隊を破ったことにちなんだ名称です。

3号墳全景
3号墳全景(左上は2号墳前方部)

3号墳測量図
玉手山3号墳調査図


 前方部の南半分は過去に削られ、崖になっていますが、北側面から前面については、墳丘斜面がよく残り裾部も明瞭です。ただ後円部の西北方は、果樹園として開墾されたため、もともとの斜面が一段低くなっており、墳丘にもおよんでいます。また墳頂には、盗掘後の窪みが残っていました。

 後円部は改変が多く、発掘調査ができない部分もあって墳端は検出できていません。そのため直径は不明で、墳丘長もおそらく約110mと考えられますが、確定していません。
 1988年の範囲確認調査の結果、後円部の墳丘盛土がかなり流失し、葺石も一部を残すのみでしたが、墳頂には2m以上の厚さの盛土が施されていることがわかりました。
 2003~2008年度には、大阪市立大学が墳丘および埋葬施設の発掘調査を実施しています。調査の結果、墳丘は3段に造られていたことや、埋葬施設の様子が明らかになりました。

3号墳後円部墳頂
3号墳 後円部墳頂

埋葬施設

 後円部の墳頂には盗掘跡の緩やかなくぼみがあり、2008年度に埋葬施設の全面調査が実施されました。

 盗掘坑はおよそ南北6.5m、東西4.5mの規模で、深さは墓坑底近くにおよび、竪穴式石槨(推定)の壁体も残っていませんでした。戦後まで、なお大きなくぼみをとどめており、最終的に埋められたのは最近のようです。

 埋葬施設の構築は、まず盛土面から0.7mほど掘り込んで墓坑を設け、墓坑底に礫石を敷いて石室下半部を構築、この段階で納棺儀礼が行われ、石室上部の構築と控え積みを盛土と並行して進めたようです。石室の構築が完了すると、全体を粘土で被覆し、最終的な仕上げ土を入れて墳頂を礫敷面として整えています。

 盗掘坑底面の中央部には、およそ4.0m×1.5mの範囲で赤彩が施された礫面があります。周囲がわずかに高く、中心部がややくぼんでおり、ここに棺が安置されていたと推測されています。粘土棺床などの構造物は見られませんでした。

埴輪

 円筒埴輪や最古段階の朝顔形埴輪が後円部墳頂や斜面から採集されています。これらはおそらく、後円部墳頂に立てられていたものでしょう。墳丘に立てられていたとみられる埴輪は今のところ見つかっておらず、全体的に埴輪の量は少なかったと考えられます。また大阪市立大学の調査では、新たに壷形埴輪が確認されています。

壷形埴輪
 壷の頸部2個体と穿孔のある底部片が、くびれ部のテラス面から出土しました。底部片は据わった状態ではなく、胴部片もないので、上からの転落と考えられます。

円筒埴輪
 円筒埴輪は二段状の大きく広がった口縁で、大きな鋸歯文や二重線を組み合わせた線刻、口縁部外面に連続する弧線がありました。透孔は突帯に平行する辺や円形のものがあり、巴形の尾部の破片が数多く出土しているので、巴形と三角形が組み合うと考えられます。

3号墳円筒埴輪
3号墳 円筒埴輪口縁部

朝顔形埴輪
 朝顔形埴輪は、器台の上に壺をのせたようすを表現するもので、大きさや形状はさまざまですが、斜め上方に屈曲するものが主体です。奈良県天理市の東殿塚古墳出土の朝顔形埴輪とよく似ており、初期の埴輪の特徴を残しています。

朝顔形埴輪実測図
埴輪実測図(上:円筒埴輪 下:朝顔形埴輪)

副葬品

 大阪市立大学による埋葬施設の調査では、盗掘坑の埋土をすべてふるいにかけ、残された副葬品が回収されました。数mm程度の鉄片も数多く、ほとんど断片になっています。

 種別の判別できた副葬品には、管玉4点、紡垂車形石製品2点、銅鏃13点、鉄剣または鉄槍1点以上、鉄刀1点以上、鉄鏃14点以上、小札80点以上(全体の50%が残存するもの)、ヤリガンナ3点以上、鑿2点以上などがあります。鏡や腕輪形石製品は残されていませんでした。
 また古墳築造当時のものではありませんが、寛永通宝や鉄砲玉(大坂の陣のもの?)も出土しています。

 埴輪や副葬品の特徴から、3号墳は9号墳に続く年代の古墳で、3号墳は3世紀末頃に位置づけられます。玉手山古墳群の中では、9号墳に後続する、最初の100m級の大型前方後円墳となります。

安福寺所在割竹形石棺

 現在、玉手町の安福寺境内に安置されている割竹形石棺の蓋は、3号墳出土の伝承があるものの、棺身を発見できず、経緯についてはわかりません。ただ、大阪市立大学の後円部埋葬施設の調査により3号墳の棺の長さは4m以下と推定されます。割竹形木棺ならば、4~6mの長さが標準であり、短い棺が安置されていたと考えられます。よって長さ259cmのこの割竹形石棺が安置されていた可能性が高くなりました。しかし、石棺の身は残っていませんでした。もし身が残っていれば、割竹形石棺の出土が確定できたのですが…。

 この石棺は、香川県の鷲ノ山産の凝灰岩をくり抜いて造られています。この石棺によって、玉手山古墳群の被葬者集団が、香川県の集団と何らかの関係をもっていたことがわかります。両小口面の縄掛突起は削りとられ、周囲には直弧文と呼ばれる直線と曲線を複雑につないだ線刻がみられます。何らかの呪術的な意味があるようです。

 1990年に重要文化財に指定されました。

安福寺割竹形石棺
安福寺割竹形石棺

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