~玉手山古墳群8~

2016年7月12日 (文化財課)

玉手山7号墳

 玉手山7号墳は、前方部を西に向けた全長110mの前方後円墳です。後円部は柏原市立玉手山公園内にあり、前方部は安福寺の境内にあります。後円部は、市立玉手山公園の東(国分側)入口を入ってすぐのところにあります。東入口に至る坂道が急坂で、誰もが息を喘がせながら登る道ですが、かつてはここに6号墳がありました。開発によって削平されてしまったのですが、現在の道は後円部から前方部へ進むかたちとなります。

 後円部墳頂には一基の宝筐印塔があります。大坂夏の陣の戦没者を供養するために、安福寺の珂憶上人が建てたものです。また、前方部には尾張徳川家二代目の徳川光友の墓があり、夫人とその子の三基の宝筐印塔が建っています。

 2001年・2002年に大阪市立大学によって発掘調査が実施されました。その結果、150mとされてきた墳丘長は約110mであることが確認され、後円部・前方部ともに三段に築かれた三段築成の形態で、平面形態も立面形態も天理市の行燈山古墳(崇神陵)とよく似ていることがわかりました。おそらく、同じ設計図のもとに築かれたのでしょう。

 後円部には玄武岩や結晶片岩の板石が散布していたため、竪穴式石室が存在するのだろうと考えていました。ところが、掘り込まれた穴(墓坑)の中には小さい礫が多数みられるのみで、板石は見られませんでした。石棺を直葬したものかとも考えられていますが、結論はでていません。また、この埋葬施設の南西に粘土槨があることもわかりました。前方部に埋葬移設があったかどうかは確認できていません。

 これまでに後円部で滑石製の合子(蓋付きの容器)、ガラス玉などが採集され、調査では滑石製の小型壺が出土しています。これらは、後円部の埋葬施設に副葬されていたものと考えられ、盗掘の際に掘り出されたものでしょう。後円部墳丘からは、土師器の壺も出土しています。

 埴輪は形象埴輪が出土していません。円筒埴輪は後円部が屈曲し、古い特徴を残すものです。これら埴輪の特徴や出土品から考えると、7号墳の年代は古墳時代前期中ごろ、4世紀前半から中ごろにかけての年代が考えられ、玉手山古墳群内では、もっとも新しい古墳の一つとなります。

(文責:安村俊史)

玉手山7号墳後円部調査中

玉手山7号墳後円部調査中

【特集展示のお知らせ】平成28年4月26日(火)から9月11日(日)まで、特集展示「玉手山古墳群」を開催しています。

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