~玉手山古墳群6~

2016年6月21日 (文化財課)

玉手山3号墳

 玉手山3号墳は、丘陵北寄りではもっとも標高の高い位置にあり、前方部を西南西に向けた前方後円墳です。江戸時代には「松山」と呼ばれ、後円部墳頂に1本の大きな松があったようです。また、「勝松山」「勝負山」とも呼ばれていましたが、これは大坂夏の陣の際に徳川方が後藤又兵衛の隊を破ったことにちなんだ名称です。

 1988年に一部で墳丘の発掘調査を実施し、2003~2008年度に大阪市立大学が墳丘および埋葬施設の発掘調査を実施しています。調査報告書が未刊のためにくわしいことはわかりませんが、古墳は全長約100m、古墳の形は西殿塚古墳に似ているのではないかと指摘されています。前方部の南半分がすでに破壊されています。

 埴輪の立てられていた位置は確認できていませんが、後円部墳頂を中心とし、埴輪の量は少なかったと考えられます。朝顔形埴輪は、器台の上に壺をのせたようすを表現するもので、初期の埴輪の特徴を残しています。奈良県天理市の東殿塚古墳からよく似た埴輪が出土しており、近い年代と考えられます。

 後円部で竪穴式石室を確認していますが、大きく破壊されていました。石室の石材は、ごく一部を残して持ち去られており、その規模は明らかにできませんが、厚く敷かれた礫の上で長さ約4m、幅1.5mの範囲に赤色顔料が残っていたので、この範囲が棺を安置した範囲になるのでしょう。現在、玉手の安福寺の境内に割竹形石棺の蓋が保存されています。香川県の鷲ノ山産の凝灰岩で造られ、重要文化財に指定されています。石棺の周囲には直弧文と呼ばれる直線と曲線を複雑につないだ線刻がみられます。この石棺が玉手山3号墳から出土したと伝えられており、それが事実ならばまだ棺身が残っているのではないかと考えていたのですが、棺身を発見することはできませんでした。しかし、そこに安置されていた棺の長さが4m以下と推定され、長さ259cmの割竹形石棺が納められていた可能性が高いと考えられています。

 副葬品としては、小さな鉄板をつないだ小札革綴冑、銅鏃、鉄鏃、紡錘車形石製品、管玉などが出土しています。小札革綴冑は古墳時代前期でも古い時期の古墳からの出土が多く、玉手山6号墳の竪穴式石室からも出土しているものです。

 これら埴輪や副葬品の特徴から、3号墳は9号墳に続く年代の古墳で、玉手山古墳群内で初めて築かれた100m級の前方後円墳と位置づけられます。

(文責:安村俊史)

玉手山3号墳の埴輪

図:玉手山3号墳の埴輪(柏原市教育委員会『玉手山古墳群の研究1』2001より)

【特集展示のお知らせ】平成28年4月26日(火)から9月11日(日)まで、特集展示「玉手山古墳群」を開催しています。

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