~江戸時代の国分村6~

2016年5月6日

夏祭りをしたい!

 天保2年(1831)に、木屋徳右衛門から預かったという冊子があり、そこにおもしろい話が書かれています。村の若者がこれまでなかった夏祭りを始めたいと言っている。近ごろの若者はどうしようもないと、今でもよく聞くような話です。それでは、もう少しくわしくみていきましょう。

 国分村の氏神は牛頭天王宮(国分神社)であるが、昔から夏祭りはなかった。ところが、近ごろ近隣の村々で新しく夏祭りを始めるところがでてきた。そこで、国分村でも若者が夏祭りを始めたいと言いだした。近ごろの若者は、ただ賑やかなことを好み、あとでどんなに大変なことになるかを考えもしない。

 若者が夏祭りを始めたいと相談に来たが、老人たちは、「昔から国分村には夏祭りはなかった。新しいことを始めるならば、よくよく考えて始めなければならない。夏祭りなど必要ない。」と返事をしたが、若者はあきらめない。もし夏祭りを始めたら、年々派手になって費用がかかるようになる。また、9月の秋祭りよりもたくさんの見物客がやってきて、たいへんなことになる。これまで村が裕福だったときでも夏祭りなどやらなかった。今ごろになって始めれば、昔の人をだますことになり、神様にも失礼なことである。

 古市村では、元文年間(1736~41)に夏祭りをするようになったが、年々費用がかかるようになり、延享4年(1747)には、祭りの30日も前から準備にかかり、9月の秋祭りよりも客が多く、10貫匁余りの費用がかかったということである。その上とても忙しく、良識のある人は眉をしかめているということである。

 国分村は古市村より人口も多く、より多くの費用がかかることはあっても、少なくてすむことは考えられない。夏祭りなど無用の相談だ。神様をありがたいことだと常々思っていることだ。また、たいせつな相談をするときは、必ず老人を招いて意見を聞くことだ。何か新しいことを始めるときは、よくよく相談をして、できるだけ新しいことはしないほうがいい。ただし、村の利益になることならば、新しいことでも始めてもいいのだが。

 老人が、自分達の楽しみのために夏祭りを始めたいという若者の言動に、困っている様子が目に浮かびます。

(文責:安村俊史)

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