~江戸時代の国分村5~

2016年4月27日

村人の生活

 みなさんがもっとも知りたいのは、江戸時代の村人がどんな生活をしていたのか、ということだと思います。しかし、それを知ることのできる史料は多くありません。それは当然といえば当然で、残された史料の多くは公文書だからです。現在でも同じで、個人の日記でもみつからない限りは、日常の生活について知ることはできません。大切に残しておくのは、土地や家屋にかかわるものや、金銭の貸し借りにかかわるもの、役所へ届け出た書類の控などになります。その数少ない史料から、昔の村人の生活を少しでものぞいてみたいと思います。

 江戸時代にはキリスト教が禁止されていたため、村人は必ずどこかの寺の檀家でなければなりませんでした。その記録が「宗門人別改帳(人別帳)」です。人別帳には、村人すべての名前、年齢、どの寺の檀家か、というようなことが記録されています。また、結婚などで村を離れる人を人別帳から除き、逆に村に入ってくる人を記録した「人別送り状」が多数残されています。これらから、周辺の村々との婚姻や養子縁組のようすがわかります。国分村は、中河内の村々はもちろん、大和盆地西寄りの村々や堺、平野、大坂など各地と交流があったことがわかります。中には、伊予久米郡松山(今の愛媛県松山市)から国分村に移り住んだ者がいたこともわかっています。理由はよくわかりませんが、何かの商売にかかわる者だったのでしょうか。

 年貢などの租税以外に、村の運営にはさまざまな費用が必要となります。これを小入用といい、その記録を「小入用帳」といいます。小入用帳にはさまざまな経費の額や内訳などが記録されています。大坂城の修復に関わる村の費用負担、役人の江戸出張に伴う費用、役人の村の見廻りに伴う費用、村ごとに割り当てられた国役銀などは村から公的に負担しなければならないものです。それ以外に、庄屋など村役人の給与、筆・紙・ろうそくなどの消耗品、村で管理する樋・池・川などの維持管理に伴う費用なども含まれており、村がどのように運営されていたのかを知ることができます。その経費は、石高によって各村人が負担することになっていましたが、その金額をめぐってもめることもあったようです。わたしの負担が大きすぎる、そんな金をどうして村で負担しなければならないのか、村役人の給与を下げろなどの不満がおこることがあったのですが、国分村では、もめごとがおこった記録はないので、円満に村の運営が進められていたのだと思います。

(文責:安村俊史)

小入用帳

小入用帳

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