~江戸時代の国分村4~

2016年4月19日 (文化財課)

河内国分寺はどこに?

 河内国分寺(かわちこくぶんじ)があったので国分(こくぶ)という。それは昔から語り継がれて、江戸時代の人たちも知っていたようです。しかし、国分寺は早くに廃寺となっていて、江戸時代には国分寺がどこにあったのか、わからなくなっていました。

 ところが、奉行所から国分寺の位置を明らかにするようにという指示があったようです。村人たちは、いろいろと調べたのですがわかりません。そのとき、ある人の考えが採用されることに決まったようです。それは地名から考えるというものでした。地名からかつての寺や城の位置を復元するという手法は今でもよく行われるものです。この方法は、まちがったものではありません。

 人々が注目したのは、「東条(ひがんじょう)」「西条(にしんじょう)」「北条(きたんじょう)」「南代(みなみんだい)」という地名でした。これらの地名は、ある地点から見た方角を表しているのだろう。そしてその中心が国分寺のあった場所に違いないと考えたのです。その中心には「機ケ辻(はたがつじ)」という地名がありました。ここが国分寺の跡だということで、ここに小さなお堂を建て、地蔵さんをおまつりすることにしました。

 その地は、東条の西はずれにあたり、絵図にも小さいお堂と大きな木が描かれ、「国分寺旧跡」と書かれているものがあります。この地には、現在も地蔵堂があり、地元の人たちによってお地蔵さんがまつられています。現在の国分東条町1丁目、ジェイテクト第二工場のすぐ西にあたります。

 しかし、江戸時代の人たちの推測はまちがっていたようです。東条のさらに東で河内国分寺跡と考えられる寺跡が発見されました。大規模な塔跡は、国分寺の七重塔の跡と考えてまちがいないようです。柏原市教育委員会の発掘調査でも、金堂跡かと考えられる建物基壇を確認しています。現在塔跡基壇は復元されて見学できるようになっています。

 ただ、「機ケ辻」の場所にいったい何があったのか。その疑問は今も残ったままです。

(文責:安村俊史)

国分村御通り筋絵図

国分村御通り筋絵図

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