~おひなさん6~

2016年2月24日

上方と江戸のひな人形

 これまで紹介してきたように、京都の有職びなと江戸の古今びな、京都の隋身・三人官女と江戸の五人囃子などのように、京都と江戸のひな人形にはいろいろな違いがありました。京都・大坂のことを上方といいますが、上方(かみがた)と江戸では、文化や人々の好みがずいぶん異なっていたのです。そして、ひな人形の飾り方にも大きな違いがありました。

 江戸時代の中ごろから、上方では御殿の中に内裏びなを飾り、その前に桜と橘を並べました。これを「御殿びな」といいます。これは、御所の紫宸殿を模倣したもののようです。一方江戸ではいくつかの段にひな人形やひな道具を並べる飾り方が広まり、次第に段の数も多くなっていきました。「段飾り」と呼ばれる飾り方です。

 江戸時代の後半になると、上方では二段の上段に御殿を飾り、その中に内裏びなや三人官女を並べました。下段には隋身や桜・橘とともに、ひな道具などを並べます。一方江戸では、七~八段の各段に、内裏びな、官女、五人囃子、隋身、仕丁の15体の人形やひな道具などを並べました。ひな道具は、台所の道具から嫁入道具としての性格が強くなっていきました。

 この江戸の段飾りが明治以降、急速に上方にも広まりました。そして、段の数や人形の数を競うようになりました。ひな道具もままごと遊びの道具であったものが、嫁入道具となり、漆塗りや蒔絵のものが好まれるようになりました。

 上方の御殿びなには豪華なものもありました。別棟と橋で結ばれたものや、土蔵をつくったものまであります。柏原市立歴史資料館にも二組の御殿びながあり、毎年どちらかを飾っています。ただ、御殿びなは組み立てや片付けがたいへんです。私も毎年苦労しています。大きな御殿びなが飾られているのをみると、飾り付けがたいへんだろうなと思ってしまうのです。

 御殿びなは上方のものでしたが、京都へ上った地方の武家や町人が、京都で購入した御殿びなが各地に残っています。それを真似て地方でつくられた御殿びなもあります。地方の人たちは、京都のひな人形へのあこがれが強かったようです。

(文責:安村俊史)

当館所蔵の御殿びな

当館所蔵の御殿びな

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