~おひなさん3~

2016年1月26日 (文化財課)

寛永びなから享保びな、そして古今びなへ

 ひな人形は、大きな流れとして、寛永びなから享保びな、古今びなへと変化しました。しかし、寛永びなが寛永年間(1624~44)につくられたもので、享保びなが享保年間(1716~1736)につくられたということではありません。寛永びなや享保びなが、およそそのころに始まったものであると考えられますが、これらはひな人形の特徴によって区別されます。享保びなは江戸時代を通じてつくられていました。

 寛永びなは、立びなから坐ったひな人形への過渡期のものです。手の表現がないものが多く、男びなの頭と冠は一体でつくられています。享保びなは、それから発展したもので、面長の顔や女びなの袴がふくらんでいるなどの特徴があります。古今びなは、安永年間(1772~81)から流行し、目にガラス(玉眼)をはめ込むようになりました。金糸や色糸などを使った豪華なもので、現在のひな人形も、古今びなの流れのなかにあります。

 このように、ひな人形は次第に華やかに艶やかに変化してきました。そして、公家から武家、町人へと広まっていきました。これに対して、幕府はぜいたくなひな人形を禁止するお触れをたびたび出しています。

 まず出されたのは、人形ではなく、ひな道具に対するお触れでした。早くも慶安2年(1649)に、「ひなの道具に蒔絵、金銀を使ってはいけない」というお触れが出ています。有名な慶安のお触れ書きの一部です。その後、享保6年(1721)には八寸(24cm)以上のひな人形を禁止しています。これに対して、ひな人形を販売する人たちは、頭を取って肩までの高さが八寸の人形を販売し、頭をあとでつけるという手口で対抗したということです。

 その後、寛政の改革(1787~1793)で、松平定信が厳しく取り締まりをしました。役人に物差しをもたせて検査し、違反するものを次々に摘発しました。これによって、次第に大きくなっていたひな人形も、大きなものが姿を消すことになりました。そして、これを逆手にとって、「芥子びな」という小さいひな人形が流行し、ひな道具も小さいものとなりました。小さい人形や道具で、いかに精巧なものをつくるかということが競われたのです。庶民のたくましさを感じます。

 ところで、松平定信の娘・烈姫が嫁ぐときに持参したひな人形は、17寸(51cm)という大きな豪華なものだったということです。

(文責:安村俊史)

享保びな

享保びな(『日本の生活道具百科』5・河出書房新社より)

【特集展示のお知らせ】平成28年1月5日(火)から4月24日(日)まで、特集展示「おひなさん」を開催しています。

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