知恵と技術~大和川のつけかえ工事8~

2015年9月28日 (文化財課)

手抜き工事?の堤防

 新大和川の堤防は、どのように造られたのでしょうか?数か所で、堤防を断ち割って断面を確認する調査が実施されています。その調査結果を見てみましょう。

 藤井寺市小山平塚遺跡(左岸)では、堤防を築く位置に23m(13間)の間隔で、杭が打たれています。これは「川違新川普請大積り」にみえる左岸堤防の幅13間に一致します。杭は30cm(1尺)間隔で打たれており、位置を示すだけでなく、土留めの機能も兼ねていたようです。

 この杭の間に土が積み上げられています。小山平塚遺跡では、よく締まった「鋼土(はがねつち)」とよばれる粘土が積み上げられていると考えられました。しかし、その後の藤井寺市船橋遺跡(左岸)や大阪市長原遺跡(右岸)では、砂を積み上げて堤防が築かれていることが確認されています。この結果から、強固な堤防を築くことを考えていたのではなく、その周辺で掘削した土を積み上げた結果、粘土のところもあれば、砂のところもあるということがわかってきました。砂で堤防を築くと崩れやすいので、本来は考え難いことです。

 また、堤防を築く前に、普通はもとの地面を平らにしてから土を積み上げます。そうすると、強い堤防を造ることができるからです。しかし、大和川堤防は、作物や草のはえている田畑の上に、運んできた土を直接積み上げて築いています。そして、本来ならば、ある程度積み上げたところで平らにして叩き締めるのですが、大和川では、それをしていません。完成後の規模が設計に合っていれば、積み上げ方は、それほど問題にされなかったようです。完成後の堤防の表面には腐食土がみられるので、史料に見られるように、芝を張っていたことがわかります。

 このように、新大和川の堤防は手抜き工事とも言える方法で築かれていたのです。幕府の工事にしては、おそまつなようにも思いますが、完成形さえ整っていればよかったようです。現在の大和川堤防は、この上にさらに盛土をして築かれています。ということは、決して堤防は丈夫ではないということでもあります。

(文責:安村俊史)

新大和川堤防断面
新大和川堤防断面

【秋季企画展・特集展示のお知らせ】
平成27年9月15日(火)から12月6日(日)まで、秋季企画展「知恵と技術-大和川のつけかえ工事-」を開催します。また、特集展示「堤防を守る」も同時開催しています。

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