知恵と技術~大和川のつけかえ工事7~

2015年9月24日

浅香の千両曲がり

 柏原からまっすぐ西へと流れているように思う大和川ですが、地図や航空写真などでよく見ると、かなり曲がっていることがわかります。とりわけ、JR阪和線の浅香駅付近では、南へと大きく湾曲しています。この湾曲部分は、「浅香(あさか)の千両曲がり」と呼ばれています。

 なぜ千両曲がりと呼ばれるのでしょう。地元の人が、幕府の役人に千両払って自分たちの土地を大和川の計画からはずしてもらったからだといいます。あるいは、川を蛇行させたために千両も余分に費用がかかってしまった。それは狐たちが新川の工事に抗議したからだ、などという伝説も残っています。しかし、これらは不自然に曲がる大和川の流れを見た後の時代の人たちがつくった話です。

 では、なぜ浅香付近で大和川は大きく湾曲しているのでしょう。それは、大和川を通すためには、この付近で上町台地を掘り抜かなければならなかったことが原因です。上町台地の地盤はとても堅いので、掘り下げる部分を少しでも減らしたいと考えられました。その結果、つけかえ前からあった大きな池、依羅池(よさみいけ)を通り、つけかえ前からあった狭間川(はざまがわ)という川の流れを利用したのです。

 依羅池は古代に遡る溜池で、つけかえ工事の関連史料には、味右衛門池(みえもんいけ)という名称でみられます。この池の中を新大和川は流れています。狭間川は、浅香付近を南東から北西へと流れていた川です。古代には、その河口に榎津(えなつ)という港もあったようです。この川を掘り広げて利用したために、大和川は大きく南へ湾曲したのです。これも、できるだけ簡単に、無駄のないように工事を行うための方法の一つでした。新大和川は、このようにもとの地形をうまく利用しながら、できるだけ無駄のない方法を考えて工事されているのです。

(文責:安村俊史)

川違新川図
川違新川図

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