5.現在の大和川
大和川の風景
大和川が付け替えられて310年ほどになりますが、今でも元の大和川を感じることができる場所が少なくありません。JR大和路線の西側が周辺より高いのは、旧大和川の堤の名残です。旧大和川の堤防は、神社や墓地として利用されていたところが多く、今も昔の堤防の上に残っているところがあります。そして、周りの土地よりも高いところを流れる天井川だったため、今も川が流れていたところは、周りよりも高くなっています。
また地図を見ると、元の大和川の流れがよくわかります。地図を手に、元の大和川を感じて歩いてみませんか。
古町墓地 (柏原市古町) 旧大和川左岸の堤防上にあります。 |
今町墓地 (柏原市今町) 旧大和川左岸堤防。2m以上の高さがあります。 |
稲生神社 (八尾市天王寺屋) 高く残る久宝寺川左岸堤防。 |
狐山 (八尾市高町) 八尾高校内に残る久宝寺川左岸堤防。 |
都留美島神社(八尾市都塚) 玉櫛川左岸堤防の高まり。 |
御野県主神社 (八尾市上之島町南) 玉櫛川右岸堤防がよく残っています。 |
築留二番樋(柏原市上市) 国の登録文化財。ここからJR柏原駅までの長瀬川沿いはアクアロードとして整備されています。 |
亀の瀬 (柏原市峠) 江戸時代、大坂から大和へ向かう大和川の水運は、ここを終点として亀瀬越の陸路で運ばれていました。 |
了意川と船だまり跡 旧奈良街道には柏原船の運航に携わった、重要文化財の三田家や登録文化財の寺田家が残っています。柏原船の船だまり跡(現在は児童公園)も見学できます。三田家住宅付近には、了意川がその景観をよく残しています。 |
柏原市立歴史資料館 (柏原市高井田) 毎年大和川の付け替えをテーマにした秋季企画展を実施。これは、郷土史として大和川付け替えを学ぶ大阪府内の小学4年生の学習に配慮したものです。 |
元の大和川は広い土地で家もほとんどなかったため、大きな工場や住宅地などに開発されたり、学校やグラウンドなどの公共施設をつくるために使われました。柏原中学校、八尾高校、山本高校、花園ラクビー場などが、旧大和川につくられています。
また現在の大和川の堤防は、長い年月の間に何度も手を加えられたので、今では付け替え工事の時につくった堤防より大きくなり、高さは2倍くらいになっています。また、最近では「スーパー堤防」という、幅が非常に広い堤防につくり変えたりもしています。
中甚兵衛ゆかりの地
築留
柏原市内にある大和川付け替え地点(上市2丁目、柏原市役所の北西、安堂交差点の北)は堤を築いて大和川の流れを留めたことから「築留(つきどめ)」といいます。平成2年(1990)に治水記念公園として整備され、中甚兵衛の銅像が立っています。この銅像は甚兵衛着用と伝えられる陣羽織を着て、左手に丸めた書類を持ち、右手は遠くを指差しています。彫刻家高橋宏至氏の作で、柏原ライオンズクラブから平成元年(1989)に寄贈されたものです。像以外にも、説明板や付け替え250周年の記念碑などが立っています。近鉄大阪線安堂駅または近鉄道明寺線柏原南口駅から徒歩3分のところです。
中甚兵衛像
今米村
今米村の周辺
近鉄けいはんな線吉田(よした)駅北側の今米公園(東大阪市今米1丁目)に、大正4年(1915)に建てられた「贈従五位中甚兵衛翁碑」と刻まれた巨大な記念碑があります。もとは春日神社のあった地で、記念碑前に一対の狛犬があります。公園の東側の道を北へ進むと公園に隣接して、中家と共に川中新田の開発・管理にあたった川中家の屋敷があります。新田の管理・経営を行ったところを「会所(かいしょ)」といい、川中家の北東付近が川中新田会所でしたが、現在はその面影はありません。
贈従五位中甚兵衛翁碑
川中家からさらに100mほど北へ進んだ右手が、中甚兵衛の生家跡であり、代々中家の屋敷があった地です。屋敷は本家、小家、土蔵、納屋、長屋門が立ち並んでいましたが、今に残るのは屋敷周辺の石垣のみです。
中家屋敷跡
京都のお墓
甚兵衛と妻妙春の墓は、遠く京都の東山、浄土真宗本願寺派・大谷本廟西大谷墓地にあります。
ここにお墓が造られたのは、宝暦(ほうれき)7年(1757)以前のことで、甚兵衛もしくは妙春の死から間もなくのことだったようです。墓は何度も造り直され、墓石には「乗久 妙春」と刻まれています。その右には、「中甚兵衛墓所」と刻まれた石碑も建っています。
甚兵衛の墓
大和川の汚染
第二次世界大戦後、日本は復興による急速な経済発展と工場や宅地の開発が進められ、大和川流域でも急激に都市化が広がっていきました。しかし、利便性がはかられる一方で、大和川は流域の排水路と化し河川環境が悪化しました。かつての水質は、全国の一級河川の中でワースト1位~2位という不名誉な事態となっていました。
しかし近年では下水道の普及や周辺住民による生活排水改善の取り組みにより、水質が格段に良くなってきています。魚や植物、鳥、昆虫、さまざまな動植物が確認されており、自然豊かな川になりつつあります。
付け替え地点近くの大和川右岸を望む
大和川の歴史をつむぐ
中家文書が市の文化財に
中家文書は大和川付け替え工事の功労者である中甚兵衛、およびその後の中家に関する文書を中心とした史料群で、その数は文書等900点にもなります。これまでに紹介した堤切の状況、天井川化する様子が描かれた「堤防比較調査図(古大和川附換前水害下調図)」、大和川の付け替え・川違を求める唯一の嘆願書である「乍恐御訴訟」、過去50年の洪水による堤切箇所が記された「堤切所之覚」、付け替え工事の見積書となる「大和川新川大積り」、工事の際甚兵衛が着用したとされる鹿革陣羽織などがあり、大和川の歴史を知るうえで、とても貴重な史料といえるでしょう。
付け替え後のものとしては、川中新田や今米村に関する「五人組御改帳」、「宗門人別帳」、「町切帳」、「検地帳」が残っています。
その他には、幕末の伏見宿・枚方宿・草津宿の助郷や、明治に計画された河内鉄道に関する史料、従五位の贈位決定の際の奉告祭、碑の除幕式の関係史料もまとまって残されています。
こうした貴重な史料を、大阪市在住の中九兵衛(なかくへえ)氏よりお借りし、展示で紹介してきました。平成22年、これらの文書が当館に寄託され、文書目録を刊行しています(『中家文書目録』柏原市古文書調査報告第8集)。そして、平成24年3月には、すべて柏原市指定文化財に指定され、翌年8月に、中氏より当館へ寄贈していただきました。
歴史資料館の取り組み
歴史資料館で、9月から12月にかけて開催している秋季企画展では、「大和川の付け替え」を統一テーマに、毎年サブテーマを設けて、いろいろな角度から展示を行っています。
これは、郷土史として大和川付け替えを学ぶ大阪府内の小学4年生の学習に配慮したもので、当館は2010年より5年連続「来館児童数最多記録」を更新してい ます。身近にあり、さまざまな歴史や人々の思いがつまった大和川に、関心が高まっているからかもしれません。
これからも小学生ばかりでなく、あらゆる世代に楽しんでもらえるような展示を目指していきます。
秋季企画展を見学している小学生
<参考文献>
中九兵衛 「大和川の付替 改流ノート」1992
中九兵衛 「ジュニア版 甚兵衛と大和川」2007
大和川河川事務所 大和川付け替え300周年記念事業ホームページ
柏原市役所「大和川付け替え物語」2004
柏原市立歴史資料館 大和川付け替え300周年記念企画展 図録「大和川‐その永遠の流れ‐」2004
柏原市立歴史資料館 大和川に関する企画展リーフレット