知恵と技術~大和川のつけかえ工事1~

2015年7月26日

大和川のつけかえ

 柏原市域を二分するように流れる大和川は、柏原市の象徴でもあり、市民にやすらぎを与えてくれる自慢の川でもあります。しかし、時には洪水という自然の恐ろしさをもたらすのも川です。古くから河内に住む人々は、大和川の洪水におびやかされてきました。そして、江戸時代の宝永元年(1704)に大和川がつけかえられることになりました。

 つけかえられた地点は、柏原市役所の前です。それまでの大和川は、ここから数本の流れに分かれて北もしくは北西に流れていました。そして、それらの川は、また一つの流れとなって、大坂城の北、京橋付近で旧淀川、今の大川に流れこんでいたのです。柏原市役所の前から西へ流れて大阪湾へと流れこむ大和川は、江戸時代につくられた人工の川ということです。

 当館では、秋季企画展で毎年「大和川のつけかえ」をテーマにしています。これは、大阪府内の小学4年生の学習内容に合わせた展示で、展示期間中に100校以上、1万人近くの小学生が見学に訪れています。そして、今年も大和川つけかえをテーマにした企画展を開催します。

 毎年開催している「大和川のつけかえ」ではありますが、全体を紹介するだけでなく、毎回ポイントを決めた展示を行っています。昨年は「なぜつけかえられたのだろう-ほんとうの大和川つけかえ運動-」というタイトルで開催しました。つけかえの理由は、一般には農民運動が幕府を動かしたとされていますが、ほんとうの理由は、幕府の利益のためだったという最近の研究成果を紹介しました。

 今回の企画展は、「知恵と技術-大和川のつけかえ工事-」がテーマです。つけかえ工事が、どのような技術や方法によって行われたのかを探ってみようという展示です。みなさんから、「どのように工事をしたのですか?」という質問もよく受けます。それに少しでもこたえることができる展示をめざします。江戸時代の測量や土木の技術は、わたしたちが想像するよりも、高いレベルにありました。どのようにして大和川の流れを決めたのか?どんな方法で測量をしたのか?このコラムでも紹介していきたいと思いますが、ぜひ資料館にも足を運んでいただきたいと思います。

(文責:安村俊史)

つけかえ前の大和川

お問い合わせ

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