小松山の戦いこぼればなし(6)

2015年5月18日 (文化財課)

又兵衛の首はどこに?

 又兵衛は鉄砲による深傷を受けたあと、家臣に首を切らせて、その首は深田あるいは泥田に埋めたということです。深田(泥田)とは、水分の多い湿田のことと考えていいでしょう。それでは、その首はどのあたりに埋められたのでしょうか。資料館の来館者からも、よく聞かれる質問ですが、答えは「よくわかりません」となります。それでも、少しでも迫ってみたいと思います。

 又兵衛が鉄砲で撃たれたのは、小松山を西へ下ったところで、馬に乗っていたということですので、馬が脚をとられるような深田ではなかったはずです。現在の玉手の村から玉手中学校あたりと考えるのがいいかと思います。その付近から西は石川の氾濫原で深田に相応しいと思います。あるいは、北の石川町のほうでも同様の地形ですので、それでもいいでしょう。北からは水野隊が、南からは伊達隊が迫っていたと考えられるので、家臣らは西もしくは北西へと傷ついた又兵衛をかくまいながら逃げ、そこで又兵衛の首を切り、田んぼの中に埋めたのでしょう。

 ところで、又兵衛の首を切った家臣とはだれなのでしょうか。吉村武右衛門が有名で、その碑も玉手山公園に建てられています。しかし、史料を調べると、吉村武兵衛、金方平左衛門、金方平右衛門、金馬平右衛門、金万平右衛門、白川八衛門尉など、さまざまな名前が見られます。結局のところ、よくわからないようです。また、一人とも考えられないので、これら複数の人物がその場にいたのかもしれません。

 このなかで、有力な吉村武右衛門について、益池家文書では武右衛門もその場で切腹したと書かれています。しかし、吉村家に伝わるところでは、のちに武右衛門は密かに又兵衛の首を掘り出し、伊予に運んでその首を埋めて又兵衛の墓をつくったと伝わっています。これについては、機会を改めて紹介しましょう。

(文責:安村俊史)

 小松山6

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当館では、平成27年3月31日(土)から9月13日(日)まで、特集展示「大坂夏の陣と柏原」を開催しています。ぜひご覧になって、400年前に思いを馳せてください。

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