小松山の戦いこぼればなし(4)

2015年4月28日 (文化財課)

又兵衛対徳川方の戦い

 5月5日の夜に、徳川方は国分に布陣を終えていました。北から一番隊水野勝成3,800、二番隊本多忠政5,014、三番隊松平忠明4,010、四番隊伊達政宗10,000、合計約23,000の兵です。想像してみてください。これだけの兵が国分に陣を構えていたのです。おそらく、北は大和川の堤防から南は田辺の南、大阪教育大近くまで、兵がひしめき合っていたことでしょう。このとき、五番隊松平忠輝11,800はまだ大和にありました。徳川方の中には、立地のよい小松山に陣を敷くべきだとする意見もあったのですが、水野勝成は小松山を占拠した敵を四方から攻めるためにも国分に陣を敷くべきだとゆずりませんでした。

 一方、5月6日の早朝4時ごろに小松山を占拠した後藤又兵衛隊は2,800人。ここに壮絶な戦いが始まりました。下から攻め上る徳川方は、上から攻撃する又兵衛隊に苦しめられました。小松山(玉手山1号墳)に墓碑のある奥田忠次は、水野勝成の配下で名の知れた武将でしたが、又兵衛隊に無謀に突き進んで戦死しています。

 又兵衛隊有利に進んだ戦いでしたが、数に劣る又兵衛隊は次第におされ、玉手山を西へと下っていきます。徳川方は、水野隊などが北から長尾街道を通って玉手山の西へと向かいます。伊達隊は円明・駒ヶ谷から迂回してと書かれているので、南から回り込んだようです。ここで又兵衛隊は周囲を囲まれることになります。現在の玉手町付近で、後藤又兵衛にとって最後の戦いがくり広げられます。そして、とうとう又兵衛が最後のときを迎えるのですが、それについては次回としましょう。

(文責:安村俊史)

陣配置図

 

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当館では、平成27年3月31日(土)から9月13日(日)まで、特集展示「大坂夏の陣と柏原」を開催しています。ぜひご覧になって、400年前に思いを馳せてください。

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