小松山の戦いこぼればなし(3)

2015年4月15日 (文化財課)

又兵衛の進路はどこか?

 5月6日の0時ごろに平野を出発した豊臣方の後藤又兵衛隊は、藤井寺を経て道明寺に着いたのが3時過ぎだったようです。はたしてどこを通って道明寺に着いたのでしょう?

 又兵衛隊は大和街道をとったと書かれている史料もあることから、平野から大和川の左岸に沿った近世奈良街道を進んだとする説明も見られます。しかし、奈良街道を利用したならば、藤井寺を経由することはありません。藤井寺から道明寺へのルートを考えると、長尾街道以外に考えられないと思います。それでは、平野から長尾街道までは、どの道を通ったのでしょう。2,800人もの大軍が移動することを考えると、中高野街道を進んだと考えるのが妥当でしょう。すなわち、平野からまっすぐ南へ中高野街道を進み、長尾街道と交差する松原からまっすぐ東へ長尾街道を進んだと考えるのが妥当性が高いと考えられます。

 それでは、なぜ平野から道明寺への最短経路である奈良街道を利用しなかったのでしょうか。軍隊は側面をつかれると弱いものです。もし奈良街道を進み、徳川方が先に国分に布陣していたならば、あるいは東高野街道を南下する徳川方に遭遇したならば、兵数で劣る又兵衛隊は悲惨な結果となったことでしょう。戦いに臨むとき、正面から進むのが常道です。又兵衛もそれを充分に承知したうえで、国分と正対する長尾街道をとったのでしょう。

 この又兵衛隊の進軍に徳川方は気付かなかったようです。小松山から見張りのものが遠くに松明を連ねた多数の人が進んでいるのを確認しながら、まさか豊臣方の隊だとは思わなかったようです。又兵衛隊は藤井寺で松明を消し、そこからは暗闇の中を道明寺に至り、物見によって徳川方がすでに国分に布陣していることを知り、急遽小松山を占領することにしたのです。ここに、小松山の戦いが始まります。

(文責:安村俊史)

軍の進路図

【特集展示のお知らせ】
当館では、平成27年3月31日(土)から9月13日(日)まで、特集展示「大坂夏の陣と柏原」を開催しています。ぜひご覧になって、400年前に思いを馳せてください。

お問い合わせ

文化財課
582-0015 柏原市高井田1598-1(歴史資料館内)
電話:072-976-3430
ファクシミリ:072-976-3431