鳥坂寺と高井田遺跡
2015年3月20日
高井田遺跡について
鳥坂寺の北東斜面に広がる集落遺跡です。昭和60年から63年にかけて調査が行われました。
高井田遺跡の調査(昭和62年)
高井田遺跡は鳥坂寺の創建に関わった集落跡とみられ、これらの建物群は住むには不便な斜面を雛壇状に造成し、あたかも鳥坂寺を見下ろすように建てられていました。
高井田遺跡の変遷
掘立柱建物の総数は160棟以上にのぼります。時期が判明したものをみると、6世紀末に標高の低い場所から数棟建ち始め、7世紀前半から後半にかけて標高の高い場所にまで範囲が及び、それぞれ50棟近く、そして8世紀に入ると再び低い場所に数棟と増減しています。鳥坂寺の主要な建物や、僧房なども完成し、寺院としての環境が整った8世紀に入ると、この集落は衰退期を迎えるという現象がおこっています。
こうした動きは、8世紀の国家的な寺院統制の影響や平安京遷都により、この地域の重要性が低下した結果、徐々に衰退していったためかもしれません。
谷川を隔てて南側に広がる高井田横穴群内には、8~10世紀の火葬墓群が見つかっており、鳥坂寺と関係する墓域の可能性があります。
高井田遺跡の出土品
遺物は、日常の生活に使用された皿や杯以外に、僧房・食堂でも見られた「三昧」墨書土器が出土しています。
高井田遺跡出土の土器
「三昧」墨書土器
※「三昧」とは、仏教用語で心を静めて、一つの対象に集中し心を散らさぬ状態をいいます。
重圏文軒丸瓦