出土した遺物

2015年3月20日

 最も多く出土する遺物で、平成21・22年度の調査では、瓦だけで約12000点見つかっています。特徴的な瓦として、蓮華文様のある軒丸瓦、弧状の線のある軒平瓦や、仏像が描かれた平瓦、文字が書かれた平瓦などがあります。

瓦から造営年代をみる
 昭和36・37年の調査成果から、軒丸瓦で11種類、軒平瓦で3種類の型式が設定され、その後の調査や採集資料などにより、それぞれ数種類追加されています。
 軒丸瓦に着目すると、金堂創建時の瓦の年代は7世紀第三四半期頃と考えられます。講堂では、金堂で多く見られたものとは別種が主体となり、金堂より若干遅れて7世紀後半に造営されたようです。
 塔では主体となる軒丸瓦が不明なため、年代がはっきりしませんが、塔は金堂と並んで重要視される建物であることから、金堂と同時、あるいはそれほど間を空けず建てられたとみられます。なお僧房・食堂は、8世紀に入って造営されています。

瓦いろいろ

文字瓦

 「玉造部飛鳥評」(たまつくりべあすかのこおり)と書かれた文字瓦
※「飛鳥評」は、鳥坂寺の南側、大和川を挟んだ対岸に位置する後の「安宿郡」を指しており、飛鳥評に住む玉作部によって寄進された瓦の可能性がある。

戯画瓦

 仏像を描いたとみられます。

複弁蓮華文軒丸瓦

軒丸瓦1 軒丸瓦2
表採 金堂跡出土
軒丸瓦3 軒丸瓦4
塔出土 金堂跡南東側の谷出土

 

重弧文軒平瓦

 弧状の線があります。

軒平瓦1 軒平瓦2
金堂跡出土 金堂跡出土

叩き目

 瓦の凸面には製作時についた叩き目が残されており、非常に多くの種類の叩き目が確認されています。これだけ多種類の叩き目がどの種類も一定量出土している寺院は全国でも稀です。

平瓦にみられる叩き目
瓦の叩き目

同氾瓦

 遠く離れた寺院で、同じ氾型を使用した軒瓦、いわゆる同氾瓦が見つかることがあります。鳥坂寺と同じ瓦が山崎廃寺(京都府大山崎町)で見つかっており、密接な繋がりがあったと推測されています。

鴟尾(しび)

 建物の屋根の大棟両端に付ける飾り。瓦ぶき屋根の頂点に据えられた一対の鴟尾は、寺院の象徴といえます。鳥坂寺では、5種類ほどの鴟尾が見つかっています。うち3種類は講堂・金堂あたりで、残り2種類は推定・中門よりも南で見つかりました。

鴟尾4種

しび2
しび3
金堂跡東南の斜面出土(堅下小学校寄託) 金堂跡出土
しび4 しび5
講堂跡出土 金堂跡出土


 昭和4年に発見された鴟尾は下半部がほぼ完存し、正位置で埋没していることから、一時的に屋根から降ろした、あるいは一度も使用することなく放置された可能性があります。現在、復元され、東京国立博物館に展示されています。

鴟尾の模型(柏原市市民歴史クラブ製作)
しびの模型

 

土器

 瓦の次に多く出土し、三彩陶器、土師器の皿、黒色土器などがありますが、ほどんどが小さな破片となっています。

土師器の甕

 平成22年の調査で、金堂の南階段付近の基壇整地層から8世紀代の土師器の甕が見つかりました。基壇が改修された時期を示しているのかもしれません。

土師器のかめ
金堂基壇整地層出土の甕

三彩土器

三彩土器1
三彩土器(鉢の一部)

墨書土器

 食堂から北に約20mの井戸があった場所から「鳥坂寺」墨書土器は出土しています。鳥坂寺跡は地名から「高井田廃寺」と呼ばれていましたが、この土器により「鳥坂寺」であったことがほぼ確実となったのです。

鳥坂寺墨書土器
柏原市指定文化財 「鳥坂寺」墨書土器

講堂の扉金具

 平成21年の調査の際、講堂中央背面の礎石付近から、石組とともに多数の鉄製品が見つかりました。講堂の扉金具です。

扉金具出土状況1
扉金具出土状況

講堂扉イメージ

八双金具(はっそうかなぐ)

 扉の軸を補強するためのもの(幅7.5cm、長さ約40cmのU字形)。

大形釘

 扉の上下にある端喰(はしばみ)を扉板に固定するための大形の釘(長さ38~48cm、太さは約2.5cm)。

八双金具と大形釘1
八双金具と大形釘

円盤状の鉄製品

 扉の軸擦金具の可能性があります(直径約8cm)。

円盤状の鉄製品
鉄製円盤(講堂背面出土)

せん仏

 粘土を焼き固めて作られたもので、講堂の須弥壇付近から見つかりました。堂内の壁や、須弥壇を飾っていたものとみられます。

せん仏(せんぶつ)とは
 型に粘土を詰めて型抜きし、焼成してつくられた土製の仏像です。インドもしくは中国が起源とされ、日本には唐より伝来したものといわれています。用途は、堂内の飾りとして壁面に貼り付けたり、せん仏自体を崇拝の対象とする場合(念持仏)があります。金箔が残るものや、彩色されているものも確認されています。
 せん仏には、全体の形状が「方形」のものと、上端がゆるやかな山形を呈す「火頭形」に区別されます。火頭形三尊せん仏は、近畿を中心に分布しており、道昭との関連が指摘されています。
※道昭…653年唐に渡り、玄奨に師事し禅を学ぶ。661年に唐より戻り、飛鳥寺の東南隅に禅院を建てたのち、全国を周遊し、井戸の掘削や、造船、架橋など各地の社会事業に力を入れた。

その他

基壇部材

 凝灰岩製で、金堂跡から数点出土しています。

礼拝石の一部

 金堂の南側に据えられ、そこに座り参拝したとみられます。古墳時代の石棺を転用しています。

せん(塼)

 粘土をブロック状に焼き固めたものです。

基壇部材・せん
せん(左下)・礼拝石片(左上)・基壇部材(右)

木製品

木簡
食堂から北に約20mの井戸から見つかった木製品

お問い合わせ

文化財課
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電話072-976-3430
ファクシミリ:072-976-3431