鳥坂寺の建物
鳥坂寺の立地
鳥坂寺は生駒山地南西端の舌状に張り出した丘陵上に位置し、広い平坦面があるとはいえず、地形的に寺院を建てるには不向きな場所です。そのため、寺院を建てるにあたり大規模な造成を行っていたことが判明しています。その背景に、当時の人々が抱いていたこの場所に対する強い「こだわり」が感じられます。
塔は金堂から70mほど離れており、一段高い丘陵先端部に位置しています。講堂は金堂から北に約30mの場所に建ち、さらに北側は比較的急な斜面が迫っています。僧房・食堂は、金堂東側の谷を隔てた、5mほど低い小丘陵上に立地しています。丘陵の南側には大和川に注ぐ谷川が流れており、この小河川が鳥坂寺南側の寺域を画していたとみられています。
伽藍配置図
金堂
本尊を安置する寺院の中心的な建物です。基壇は東西18m、南北15m、高さは推定1.4mで、地面を掘り込み、そこに加工した凝灰岩を据えて基壇を造っています。
基壇のあった地層の様子
基壇の上にあった建物の様子は不明ですが、礎石とみられる石が見つかっています。
礎石とみられる石
また金堂の南側では、石を多く含む盛り土で斜面を埋め立て、地面を平らに していたことが確認されました。その盛り土の中から古墳時代前期の埴輪の破片が見つかっており、金堂の近くに古墳があった可能性があります。
金堂南側の整地土
金堂北階段は四段分みつかっています。南階段に比べ一回り小さく、本来は七段だったと推定されています。
金堂北階段
金堂の南側の基壇は、基壇の石が倒れた状態で見つかりました。左端の四角い石は「拝み石」(礼拝石)といい、その石の上に座って金堂の仏像を拝んでいました。
金堂南階段(左奥)と基壇の様子
塔
金堂跡の南西約80m、現在の天湯川田神社境内で見つかっています。
天湯川田神社拝殿と雨落溝
仏舎利(釈迦の遺骨またはその代用品)を祀るための建物で、一辺8.66mの基壇の三重塔と推定されています。基壇自体はすでに失われていましたが、塔の中心の柱(心礎)を支える礎石や、基壇周囲を巡る雨落溝が見つかっています。
塔心礎と雨落溝
雨落溝に使われている板石は、古墳の石室に使用されていた板石を転用したものと考えられています。
講堂
金堂跡の約20m北にあります。僧が勉強する建物で、基壇は東西32.3m、南北20.3m、高さ約50cmと推定されています。礎石のほとんどが、当時の位置のままで見つかり、また建物中央には、須弥壇が造られていました。
講堂の礎石
自然石を並べた簡素な基壇外装が北辺のみ残っています。
講堂基壇北側の縁石
須弥壇
仏像を安置するためのもので、凝灰岩で造られています。南側に幅4mほどの階段があります。
須弥壇北側(昭和37年)
回廊
金堂を取りかこむ廊下。金堂の南側にある中門につながるものと推定されています。礎石は講堂のものより一回り小さく、抜き取られていたものもありました。
中央暗い土の範囲が、礎石が抜き取られた穴
見つかった礎石や礎石を抜き取った穴の状況から、回廊の北側では、東西3.2m(コーナー部分では3.6m)、南北3.6mの間隔で礎石が置かれていたことがわかりました。
北面回廊 西側礎石
北面回廊 北東隅礎石
中門
近鉄線の敷設工事で破壊されたと見られ、詳細不明ですが、調査で金堂南階段より南の地点に溝が見つかりました。中門に関連する遺構の可能性があります。金堂の南側では、板石を多く含む整地土が見つかっており、寺院建設の際に古墳を壊して整地したようです。
僧房・食堂(じきどう)
僧が生活する僧房(南北26m以上×東西4.7m)、食事をする食堂(南北15.2m×東西10.4m)は、金堂から谷を隔てた南東の場所に建っていました。いずれも地面に穴を掘って、直接柱を立てた掘立柱建物で、周囲には柵の跡や井戸なども見つかっています。
食堂(左)と僧房(右)