鳥坂寺跡の調査
近鉄の敷設工事
1926 | 大正15年/昭和元年 | 鉄道敷設時に、遺物を発見 | 『考古学雑誌第18巻第6号』 |
大正14(1925)年から昭和元(1926)年に行われた大阪電気軌道(現在の近鉄大阪線)の敷設工事で、寺跡は一部が破壊されています。このとき、中門や金堂基壇の一部が出土したと考えられますが、これらについて一部が報告されているのみで詳しい記録は確認されていません。
鴟尾の発見
1929 | 昭和4年 | 金堂跡の南東斜面より、鴟尾を発見 | 『大阪府史蹟名勝天然記念物調査報告第1輯』 |
昭和4(1929)年に高さ約1.3mもの巨大な鴟尾(しび:屋根の両端飾り)が、近鉄線東側の農地で地元の人に発見され、学会の注目を集めることになりました。この鴟尾は復元され、現在東京国立博物館に展示されています。
塔・金堂・講堂跡
1961 | 昭和36年 | 塔跡を調査 | 柏原中学校社会科研究部 |
1962 | 昭和37年 | 金堂・講堂跡を調査 | 大阪府教育委員会・奈良国立文化財研究所 |
昭和36(1961)年から昭和37(1962)年にかけて、柏原中学校社会科研究部、大阪府教育委員会と奈良国立文化財研究所(当時)による発掘調査が行われ、寺の主要な建物である塔や金堂、講堂などの位置や規模などが確認されました。本格的な発掘調査が行われたのは、このときが最初です。
塔跡の調査に参加した柏原中学校のみなさん(昭和36年)
塔跡の調査(昭和36年)
僧房・食道跡
1983 | 昭和58年 | 僧房・食堂跡を調査、「鳥坂寺」墨書土器などを発見 | 柏原市教育委員会 |
1984 | 昭和59年 | 僧房・食堂跡の東側を調査 | 柏原市教育委員会 |
昭和58(1983)・昭和59(1984)年には、柏原市教育委員会も調査を実施。僧房や食堂(じきどう)と思われる建物跡が発掘されました。そして、このとき食堂跡近くの井戸から「鳥坂寺」と墨書のある土器が発見されました。この発見によって、それまでは現在の地名をとって「高井田廃寺」と呼ばれていた、この古代寺院跡が、『続日本紀』に記載のある「鳥坂寺」だと確認されたのです。
僧坊・食堂跡の調査(昭和58年)
集落の建物跡
1985 | 昭和60年 | 高井田遺跡にて古墳、掘立柱建物群を発見 | 柏原市教育委員会 |
1986 | 昭和61年 | 高井田遺跡にて掘立柱建物群を発見 | 柏原市教育委員会 |
1987 | 昭和62年 | 高井田遺跡にて古墳、掘立柱建物群を発見 | 現 サンヒル柏原、柏原市教育委員会 |
1988 | 昭和63年 | 高井田遺跡にて寺域北限の確認 | 柏原市教育委員会 |
1989 | 昭和64年/平成元年 | 高井田遺跡にて掘立柱建物群を発見 塔跡雨落溝の一部を確認 |
柏原市教育委員会 |
市教育委員会では、さらに昭和60(1985)年から昭和64(1989)年にかけて周辺の調査が行われ、寺跡の北東斜面で鳥坂寺の創建に関わったとみられる集落の建物跡(高井田遺跡)を発見するなどしています。
高井田遺跡の調査(昭和62年)
塔・金堂・講堂跡の再調査
2009 | 平成21年 | 金堂・講堂跡を再調査、北面回廊西側の礎石を発見 | 柏原市教育委員会 |
2010 | 平成22年 | 金堂・塔跡を再調査、金堂南側の整地層、北面回廊東側の礎石を発見 鳥坂寺跡発掘調査緊急シンポジウム「再び灯る古代の光-鳥坂寺の実像に迫る-」開催(11月28日) |
柏原市教育委員会 |
2011 | 平成23年 | 鳥坂寺シンポジウム「再び灯る古代の光-鳥坂寺を語る-」開催(12月1日) | |
2012 | 平成24年 | 鳥坂寺跡が国指定史跡として告示(1月24日) | 『官報』 |
2012 | 平成24年 | 夏季企画展「鳥坂寺再興」開催(7月14日~9月9日) | 柏原市立歴史資料館 |
史跡指定には、建物の正確な位置や寺跡の範囲確定などが必要なことから、市教育委員会文化財課による再調査が行われることとなりました。平成21年度調査では、主として金堂跡や講堂跡などが再確認され、新たに回廊跡が発見されました。続く平成22年度調査では、塔跡の再確認のほか、金堂の南側にあったと考えられる中門など付属建物の有無について調査し、金堂基壇や中門建設のための整地層、講堂から伸びる回廊の状況などを確認しました。そうした調査を経て平成24年1月に国指定史跡となりました。
金堂北階段の再調査(平成21年)
現地説明会(平成22年)
鳥坂寺シンポジウム(平成23年)