亀の瀬こぼればなし(6)

2015年3月25日

 奈良県から大阪府へと流れる大和川。その府県境付近を「亀の瀬」といいます。

 亀の瀬を含む大和川周辺は、大坂の陣でも重要な舞台となりました。大和から河内へと攻める徳川方が、この地を通って西に進んだからです。 慶長19年(1614)の冬の陣のとき、戦勝祈願のために法隆寺を訪れた徳川家康は、そのあと住吉大社へと進んだことがわかっています。その途中の経路はくわしくわかっていませんが、竜田道を通ったと考えるのが適切でしょう。

 これに関係して、三郷町に残された史料におもしろい話があります。片桐且元が首を切り落とした亀岩のある竜田道を通るのは不吉なので、別の道を通りたいと家康が要望したということです。この要望に応えるため、立野(三郷町)の安村喜右衛門は、対岸の藤井(王寺町)へ舟で送り、藤井から国分まで山道を切り開いて家康の隊を案内したということです。

 これが事実ならば、藤井から明神山の斜面を稜線にのぼり、後の送迎(ひるめ)道を通って国分東条(ひがんじょ)へ下るか、尾根筋を通って六軒、国分と下ったかのいずれかだと考えられます。しかし、藤井の南斜面は急斜面であり、武装した軍が通ることは不可能ではないかと思われます。これは、魚梁船の営業を一手に引き受けた立野の安村家が、魚梁船の由緒を述べるためにつくった話ではないかと思われます。

 いずれにしても、且元が亀岩の首を切り落としたこと、それが不吉なことだという意識が広く知られていたということでしょう。

(文責:安村俊史)

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