亀の瀬こぼればなし(5)

2015年3月13日 (文化財課)

 奈良県から大阪府へと流れる大和川。その府県境付近を「亀の瀬」といいます。

 豊臣秀吉の側近として活躍した片桐且元(かたぎりかつもと)は、慶長6年(1601)に平群郡1万8千石を加増され、同郡竜田に居を移します。そして、所領の米を大和川の舟運を使って大坂へ運ぶために、亀の瀬の瀧を開削したといいます。慶長14年(1609)のことのようです。

 この開削がどの程度のものだったのか。残念ながらくわしい史料は残っていませんが、江戸時代も舟で亀の瀬を通れなかったことを考えると、失敗に終わったと考えていいようです。

 開削がうまくいかないことに腹を立てた且元が、亀岩の亀の首を切り落としたという記録もあります。そのとき、亀の首から血が流れ出し、人々は恐れたということです。しかし、今も亀岩には首がついていますので、切り落としたということはないでしょう。

 また、且元が亀の瀬の開削をして以来、上流からの土砂の流出が激しくなり、国分村の洪水がひどくなったという記録もあります。芝山の南側一帯が、たび重なる洪水で沼地となってしまいました。そのため国分村の人たちは、芝山の西に田輪樋を伏せてこの地の排水を行い、新田を開発することに成功しました。それ以降、その功績を認められて一部の土地の年貢が免除されてきました。明治という新しい時代になっても、年貢(税金)の免除を続けてほしいと願い出た文書が残されています。且元の開削から300年近くたっても、国分の人たちは且元のために迷惑を受けたと語り継いでいたようです。

(文責:安村俊史)

 

【お知らせ】

当館では、平成27年3月28日(土)から6月14日(日)まで、企画展「亀の瀬の歴史」を開催します。亀の瀬に接する王寺町、三郷町と共催で実施する展示です。ぜひご覧になってください。

 

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